映画・テレビ

2017年7月 7日 (金)

(272)映画「光」とトーク

河瀨直美監督の最新作「光」を観てきました。今年5月のカンヌ映画祭で、精神世界を深く掘り下げた作品に授与されるエキュメニカル賞を受賞(キリスト教のカトリック、プロテスタント両方の審査員6名によって選ばれるが、今年は満場一致であった由。)しています。

 

視力を失っていく写真家の主人公と、視覚障碍者のための音声ガイドを制作するヒロイン美佐子が、葛藤を重ねながら、次第に互いを認め合い惹かれていくメインストーリーと、ヒロインが音声ガイドの制作を担当している劇中映画「その砂の彼方」(この映画も独立した作品として作られ、上映もされているという。いずれ見たいものです。)というサブストーリーを組み合わせながら、河瀨監督は、大切なものがいずれは失われていくという人間の宿命を肯定的にとらえ、多様な光の世界に描き出している美しくも切ない作品です。

 

主人公雅哉を演じる永瀬正敏は、俳優でありながら自身プロの写真家(写真集をすでに6冊出している)で、視力を失う写真家を演じるとき、彼がどれほどの苦悩を実感したか、その思いが伝わってくるようで心が震えました。クランクインの2週間前から、実際に撮影した奈良のアパートで暮らし、目の不自由な方たちと交流し、役作りをしたそうで、「どんな状況の人にも、心の中に光がちゃんとある。大きな光があるんだ」という監督のメッセージにも気づくことができました、と語っています。

 

ヒロインの水崎綾女(みさきあやめ)、サブストーリーの主人公、藤竜也も素晴らしく、キャスティングも良かったし、標準語の映画を奈良の街で自然な感じで撮り、奈良の大自然の光の美しさを見せてくれた、奈良出身の河瀨さんならではの作品ですし、また音楽もユニークで心地よいのですが、担当したのはイブラヒム・マーロフというレバノン人。今や世界的監督となった河瀨さんは、国際色豊かなスタッフを構成できるだと感心しました。

 

上映後、河瀨さんと宗教学者山折哲雄さんのトークがあり、山折さんから会場に「視覚と聴覚のどちらかを失わなければならなくなったとき、あなたはどちらを選びますか」という問いが出されました。およそ9割近くの人が視覚を残したいと答え、筆者は、聴覚を残したい、の方に手を挙げました。もう人生においておよそ見るべきものは見た、クラシック音楽が聴けないことには生きていてもしかたがないとの、一瞬思いつきの理由でしたが、山折さんによれば、聴覚を選んだ人は神に近いのではないか、と。

 

それはともかく、現代人はテレビやパソコン、スマホなどに視覚を使いすぎていることは確かで、筆者も間違いなくその一人です。先週も書いたように、古代人は、大自然の音を聴くことで多くのことを学び、暮らしを立ててきましたし、それは神の声を聴くことでもあったでしょう。河瀨さんも山折さんの指摘になるほど!と感心していました。トークの最中に、永瀬正敏さん本人が登場したのにはさすがにびっくりしましたが、彼の朴訥な語り口はとても好感が持てました。

 

昨年のカンヌに出品した映画「あん」に音声ガイドを入れた経験から、河瀨さんは「光」の構想を思いついたそうで、この二人が今後どんな作品を作るのか楽しみです。また、来年秋、永瀬さんの個展が奈良写真美術館で開催されるとか。

この映画はできればあと何度か観て、河瀨さんの意図したものをもっと感じたいと思いました。たくさんの方にお薦めしたいと思います。

 

 

 

2017年4月25日 (火)

(262)黒澤明の「生きる」

毎月の映画会で、町内の皆さんと一緒に黒澤監督の「生きる」を鑑賞しました。初めて観るという方ばかり。しかも9割方は年配の方で、少々テーマが重すぎるかと案じましたが、観終わった後の集会所の中は言葉にできない深い想いに満ちているように感じました。すぐに席を立つ方はひとりもなく、むしろ感動で立ち上がれない、といった様子でした。

ああ良かった。きちんと受け止められた。それにしてもうちの町内の皆さんのレベルは高いなぁ。心配はまったく杞憂でした。

 

昭和27年の作品で、みんな生きることに必死の時代であったはずですが、終わったばかりの戦争を取り上げることなく、市井を描きながら「生」と「死」の意味を問うとは、さすが黒澤の視点は凄いと思います。末期がんに侵され余命いくばくもないと悟った主人公が、数カ月の人生をどう生きたかを主軸としながら、主人公と息子夫婦の心の断絶や、事なかれ主義の役人たちを丹念に描いていて重厚な人間ドラマとなっています。

 

主人公は早くに妻に先立たれ、再婚話も断って一人息子を育てることを生きがいにしてきました。その息子夫婦と同居をしているのですが、自分が末期がんであることを最後まで話せません。息子の嫁が主人公と別居しようと言い、息子も自分の退縮金をあてにしていることを偶然聴いてしまったからです。息子の野球の試合を応援に行ったときや、息子が入院し必死で介抱したときのことなどを回想する息子との思い出のシーンで、主人公がいかに息子を生きがいにしてきたか、しかし最後の最後で何の力にもなってくれない絶望感と無力感が描かれ胸を打ちます。

 

主人公の通夜の席で、上司や同僚たちが主人公の死についてそれぞれの思いを語り合いながら、書類にハンコを押すだけが仕事だった主人公が、ある日人が変わったように市役所中を歩いて公園建設を訴えていたのはなぜか。結局公園を作ったのは誰の功績だったか、役人たちに侃々諤々議論させて役人たちの人間性に迫っていくという脚本の巧みさ・・・。

 

そして何よりも、志村喬演じる主人公が訥々と歌う哀切な「ゴンドラの歌」の歌詞、「命短し、恋せよ乙女・・・」が、人生どう生きるか悩める主人公の心をみごとに表現しています。人間は独りで生まれ、最期も独りで死んでいく・・・この宿命と、ならば与えられた生をいかに生きるかを観客にストレートに突きつけてくる黒澤の思い。今の時代にもますます輝きを増す、やはり日本映画の秀作です。

 

 

2017年1月31日 (火)

(252)映画「沈黙」

マーティン・スコセッシ監督が、28年温めてきたという遠藤周作原作の「沈黙-サイレンス-」を観に行ってきました。クリスチャンではないので深くはわかりませんが、映画としては実に素晴らしかった。残酷な拷問のシーンがたくさんありますが、見終わったあとには、不思議と静謐な印象のみが残っています。上映時間161分も長いと感じませんでした。「雨月物語」へのオマージュとして撮られた場面もあるそうで映像が美しい。来月のアカデミー賞で撮影賞にノミネートされたのも納得です。(作品賞や監督賞もノミネートされてしかるべきと思いましたが・・・。)

 

はるか昔に原作を読んだとき、棄教の証に(キリストの顔への)踏み絵を強要される信者が、「神はなぜ沈黙されるのか」と問う場面に、キリスト教だけでなく他の宗教でも同じことで、どんなに信仰心篤くてもそう簡単に人間が救われることはない、つまり宗教の限界を描いたものと思っていました。今回、映画のラスト近くで聞えてくる「私を踏みなさい」という神のことばに、やっと遠藤の言いたかったことが理解できたように思いました。(もちろん原作でもそう書いてあったと思いますが、映画でそのシーンを観るとまた特別です。)

 

スコセッシ監督は、「最初は棄教を迫られる宣教師ロドリゴに感情移入していたが、次第に何度も棄教を繰り返し、ついにはロドリゴを密告するキチジロー(窪塚洋介)がわれわれそのものだと感じるようになった、『弱き者に生きる場所はあるのか』と問うている(産経新聞評より)」。また監督は原作について、「(信仰を)信じることと疑うことは同時に進行していく。確信から懐疑へ、孤独へ、そして連帯へ、それが『沈黙』のなかには、注意深く、そして美しく描かれていく」とも言っています。

 

命と引き換えの過酷な環境におかれたとき、信念を貫けるのか、宣教師の場合、他のひとの命とも引き換えとなるのです。たとえ強い信念を持っていたとしても神ならぬ人間は、簡単に揺らいでしまうこともある。業の深さと常に直面しなければならない人間。この作品のテーマは容易に結論の出ないことですが、しかし、少しでも誠実に、良心を持って生きようとすれば、誰ひとり逃げられないことだと思うのです。相変わらずテロや戦争が絶えない世界。トランプというある意味“独裁者”を選んでしまったアメリカ。信仰とは何か。信仰は必要か。考えさせられます。

 

窪塚以外にも、イッセー尾方、浅野忠信、塚本晋也など日本人俳優の演技はどれも素晴らしかった。彼らはスコセッシ監督を敬愛し、オーディションを受けてキャスティングされた。すでに国際的に評価されている映画監督である塚本がオーディションを受けたとき、スコセッシ監督は、あの「六月の蛇」の監督ですか!と仰天し、塚本は、エキストラでも結構です、と答えたという。この映画の凄さがわかります。

 

帰ってから、釈徹宗の「不干斎(ふかんさい)ハビアン ― 神も仏も棄てた宗教者」(新潮選書)を読み直しました。「沈黙」に描かれた時代のこと、禅僧からキリスト教に改宗し、日本人キリシタンの理論家となったが、突然キリスト教も棄て、キリスト教批判の書を著したハビアンという日本人についてわかりやすく書かれたこの本については稿をあらためたいと思います。

 

 

 

2016年12月 5日 (月)

(245)聖(さとし)の青春

将棋と言えば、小学生の頃、兄が駒の動かし方を教えてくれたが、13も歳が違えば歯が立たず何度やっても負け続け、結局、自分は頭も悪いし、勝負事にも向いていないと思い決めた。よって将棋、囲碁という一対一の勝負事について、書くこともないし、資格もない。

 

が、しかし、封切り中の「聖(さとし)の青春」という映画を観たら、そうもいかなくなった。将棋という過酷な世界に生きる人たちと、夭折した棋士村山聖と現在の第一人者羽生善治の勝負師としての闘い、崇高な友情、を知ったから。

 

広島で村山が昭和44年に生まれた翌年、埼玉で羽生が誕生した。のちに「羽生世代」と呼ばれる有能な棋士たちが何人も生まれている。しかし村山は、わずか5歳で腎臓ネフローゼを発症してしまう。入院生活で父が与えた将棋と出会うが、外出も限られるためもっぱら将棋本を読みこむことで棋力を向上させていったという。そして7歳でアマ三段の大人を負かすようになる。

 

故郷の広島では向かうところ敵なしとなったころ、谷川浩司が史上最年少で名人位を獲得したと知って、谷川を倒して名人になるという目標を立てた。ときに13歳。身体を心配する家族を説得して大阪に出て森信雄四段と出会う。村山の才能に驚いた森は自分のことはさておいても物心両面で最後まで村山の面倒を見た。この頃、羽生も頭角を現し、小学生名人となっている。

 

羽生は16歳で、村山も奇跡的な昇段を果たして17歳で同じ年にプロ棋士となる。二人は五段昇段も一緒で「東の羽生、西の村山」と並び称される。以降羽生との直接対局は13回。村山の67敗であるが、特に最後のNHK杯では九分九厘勝利を手中にしていたが、最後に信じられないミスをし羽生にタイトルを譲ってしまった。体調の差を考えれば二人は互角の力を持っていたといわれる。

 

しかし、5歳から病魔に取りつかれた体に膀胱ガンが追い打ちをかける。手術しなければ治らないが、手術してもし将棋が指せなくなっては人生の目標が達成できない。思い悩んだ末、手術に踏み切るが、回復は叶わずついに29歳で亡くなった。八段の村山には、将棋界における功績から異例の九段を追贈された。

 

村山は、十代の頃、「名人になって早く将棋を止めたい」と語っていたという。大きな一つの目標が彼を支えていたのだ。亡くなる年の「将棋年鑑」に、それまで頑なに断ってきたアンケートに初めて答えて、今年の目標を、生きる、と書いた。その思いは想像するにあまりある。

 

羽生は村山が亡くなったあと、「攻めが鋭くて、勝負勘が冴えた将棋。もし健康ならタイトルをいくつかとったことだろう」とその死を悼んだ。映画のハイライトは、村山が羽生を破った一戦のあと、羽生を呑みに誘い、二人だけで酒を酌み交わすシーンであるが、将棋の深淵を知った二人にしか通じない会話がなんとも素晴らしい。

 

道端で倒れ込み「(対局まで)時間がない」とつぶやく村山を、見ず知らずの通行人がタクシーに乗せて将棋会館の対局場に送り届ける場面から映画は始まるのだが、彼を支えた大阪の市井の人たちの存在にも心打つものがあった。どちらが師匠かわからないと周りから揶揄されても、彼を支え続けた森信雄現七段。

 

誰の人生も生きる闘いであるが、多くの人から助けられてもいくものだ。短い生涯を運命づけられながらも、不屈の精神で生き抜いた村山聖には、最高のライバル羽生をはじめ多くの仲間や人々がいた。いや、それらの人々を彼自身が招き寄せたのだ、と思う。

 

メガホンをとった森義隆監督は、「29歳で亡くなったことを当初はとても無念だったろうなと思っていたが、撮影中に実はそうじゃなかったのではないかと考え直しました。濃密で幸せな人生だったはずだと・・・」(産経夕刊)と語っているが、この映画を観て人生の意味をあらためて深く考えさせられた。

 

村山を演じた松山ケンイチは、20キロも体重を増やして役作りをしたというが、渾身の演技に圧倒された。名優への道を歩む一作となったような気がする。今年観た映画(わずかな本数ではあるが)のなかでは最高作であった。

 

 

2016年11月24日 (木)

(244)独裁者が愛した映画

「将軍様、あなたのために映画を撮ります」という不思議なタイトルの映画を観た。

北朝鮮の二代目独裁者の金正日が、韓国の著名な映画監督とスター女優を拉致して映画を撮らせた顛末をドキュメンタリーにまとめた映画であるが、この映画を作ったのはイギリス人。そういえば横田めぐみさんのドキュメンタリー映画を作ったのもアメリカ人とカナダ人であったが、人権問題について敏感なのは、やはり欧米なのかと考えさせられる。

 

制作ノートにはこう書いてある。

「この話をいつ知ったのかは思い出せない。長い間、空想の中にある、どこかの寓話作家がでっち上げた、出典の怪しい物語だと思っていた。」

「映画監督と女優が、映画の品質向上のために残虐な独裁者に誘拐されるなんて。」

 

そう、独裁者は映画狂であった。かの国で一番たくさんの映画を観ていた人物といわれ、自らの思いを「映画芸術論」という本にまとめた(まとめさせた?)くらいである。「ゴジラ」や「男はつらいよ」のファンだったともいわれているそうな。国内の映画製作者が、独裁者に媚びるような作品しか作れないのが不満で、韓国の一流監督と女優の拉致を命じたというのだ。

 

北朝鮮に拘留されている3年間に、17本の映画を作った監督申相玉は10年前に亡くなっているが、女優崔銀姫は生きている。今年88歳。イギリス人監督は、2年かけ、不審と不安をいだく女優とその家族をくどき落として映画を作った。

 

女優や家族の回想、関係者へのインタビュー、当時の映像、17本の映画の場面などを編集して作られているが、何と言っても、いつかこうした映画が作られる日が来ると予感していたのか、申監督自身が北朝鮮での録音テープを残していた。何と金正日との会話も。監督は日本に留学していたことがあり、日本語でしゃべっている。自分の体験を信じてもらうために、親しい日本の友人に語ろうとしたのか、あるいは自らの防衛のための日本語だったのか。

 

自国や自分に必要な人材は、手っ取り早く外国から拉致してくるという、とんでもない北朝鮮の拉致犯罪の意図を世界中に暴露する貴重な映画が作られた。

 

制作ノートにはこうも綴られている。

「北朝鮮自体が金一族の、異様で、虚栄に満ちた幻想の延長線上にあり、そこで人々は死の恐怖におびえながら、与えられた役を演じなければならないという、映画のような国なのです。」と。

 

 

 

2016年9月26日 (月)

(239)なら国際映画祭クロージング

2年に一度という貴重な機会なのに、また今年は初めて6日間へと会期が延長されたのに、何かと都合がつかず、台風が来たりで、結局、最終日のクロージングに辛うじて駆けつけるというありさまで本当に残念なことであった。

 

今年の第4回は、奈良市の支援が打ち切られたりして一時は開催が危ぶまれたが、民間スポンサーの援助などで計画通り6日間開催にこぎつけた。期間中、天候にも恵まれず、実行委員会の人たちの苦労は最後まで相当なものだったようで、クロージング・セレモニーでは、司会者も、あいさつに立った主催者も感極まって涙をこらえることができなかった。

 

エグゼクティブ・ディレクターの河瀨直美さんは、雨になった「星空上映会」で、鉄腕アトムが“奈良の空に飛んだ”様子や、「春日大社奉納上映」、「自転車発電上映会」などで感じたことを、さすが冷静に報告し、累計参加者が3万人を越え、着実に映画祭が定着し内容も充実していると話された。ご同慶の至りである。

 

今回からあらたなプロジェクト「ROAD TO CANNES」がスタート。若手映画作家がカンヌ映画祭へとはばたく仕掛けを始めたが、映画祭のクロージング上映作品に、今年のカンヌ映画祭「ある視点部門」で、グランプリに次ぐ審査員賞を受けた深田晃司監督の「淵に立つ」が選ばれ、10月の全国ロードショーに先駆けて上映された。

 

結局観た映画は、深田監督と主演女優の筒井真理子さんのトーク付きの、この1本だけとなってしまったが、秀作だったと思う。平凡な家庭にひとりの男がやってきて起こる、最初はさざ波のような変化が、次第にそれぞれの人間の心をえぐりはじめ、ついには大きな事件を引き起こしていく。

 

この映画は監督の創作だそうだが、決して普遍的ではない内容なのに、不思議に現実感をもって描かれていく。脚本を書く前にキャストの構想は決まっていたと監督が語っていたが、特に主演の浅野忠信については、この人しかないと思わせるキャラクターと演技だ。

ラストは観る者に如何ようにも考えさせる。監督自身「見る人によって、いろいろなとらえ方ができる映画なので、夫婦や家族など、一緒に行った人と話し合って、議論したり、喧嘩したりしてもらえたら嬉しい」と語っている。

 

映画祭のグランプリ「ゴールデンSHIKA(鹿)賞」は、イランの女性、アイダ・パナハンデ監督の「ナヒード」に贈られた。観たかったなぁ。2年後は、もっと計画的に参加するようにしなければ・・・。

 

 

2016年3月25日 (金)

私を離さないで

「私を離さないで」がTBSで10回にわたり放映された。久しぶりに民放のドラマを録画までして全回観たのだが、重いテーマの故か視聴率は6%台で振るわなかったそうである。原作は、昨年9月のブログ「日の名残り」と同じカズオ・イシグロの作品。

 

小説ではいまいちの印象だったが、「文藝春秋2月号」に、「平成の原節子、世界的作家に会いに行く」というタイトルで、今回主演の綾瀬はるかと、カズオ・イシグロの対談が載り、どうドラマ化されるのかと、俄然興味が湧いた。

 

登場人物は臓器提供のために生まれてきたクローンの人間たち。彼ら彼女らは長くても30年しか生きられない。学校では、「あなたたちは病気で苦しむ人たちを救う崇高な使命を持った天使なのです。」と教えられる。

 

主人公恭子(綾瀬はるか)は、すでに「臓器の提供」が始まっている恋人友彦の介護人を務め、最後の日々を病室で一緒に過ごしている。ある日、「提供」が「猶予」されるケースがあるという噂を知る。学校の授業で創った絵や彫刻などの作品の出来で「猶予」されるとか、愛し合っているカップルに真の愛が認められると「猶予」されるとか聴いて、そこに“生”への一筋の光明を見いだそうとするのだが、結局、「猶予」は噂話に過ぎなかった。

 

クローンであっても人間の感情は当然持っている。恭子たちが学んだ学校の経営者は、短い人生でも少しでも豊かな人生を送れるようにとの教育方針を持っていたが、この学校は稀な存在であって、社会の大勢に抗しきれずついに廃校になってしまう・・・。

 

カズオ・イシグロは、クローンや臓器提供がテーマではなく、短い人生を決められている若い人たちを描くことによって、誰もが避けられない「死」に直面したときに、一体何が重要なのかというテーマを浮き彫りにしたかったという。こんなセリフもでてくる。「私たちと、私たちが救った人々に違いはあるのか?誰もがいつかは“終了”(死のこと)する。誰もが“生”を理解することなく、命は尽きるのだ」

 

ドラマ終盤で、かつて恭子らを指導した先生も語る。「人間は、あるはずのものがない世界には戻れない生き物です。クローンの臓器を利用することで、苦痛から解放され、生き延びることを知った人間は、もはやクローンを手放せなくなってしまう。そのため世の中では、クローンは人間らしい心は持っていないと思い込むようにしているが、私はそうは思わない、クローンであっても人間の心はあるのです。たとえ短い人生であっても、最大限豊かな人生を、せめて一抹の誇りをもって人生を全うしてもらいたいと願ってきました。」

 

素直にSF小説としても、いろいろなことを考えさせられる作品だが、すでに、地球のどこかで、こうした試みは行われているような気もする。遺伝子操作で、あらかじめ重い病気にならない人間だけを選択して作ることも可能な時代である。人権意識が希薄で、カネが万能の某国では、権力者が野望のために、クローン人間など平気で創ってしまいそうである。

 

 

 

2015年3月16日 (月)

アメリカン・スナイパー

クリント・イーストウッド監督の話題作「アメリカン・スナイパー」を観ました。イラク戦争に4度従軍したアメリカの兵士クリス・カイルの自伝に基づく戦争映画。英雄と一家庭人の二面を持つクリスを演じるブラッドリー・クーパーの存在感が印象的でした。

 

結論的に感想を一言で言えば、人間は好むと好まざるとに拘らず、戦争を放棄できない残虐な動物なのだと、あらためて思い知らされたということです。何か理由を見いだしては人を殺しに行く。兵士たち個人は自分の任務と家族とのはざまで葛藤したり、人を殺すことの罪悪感や仲間を守れなかったことの後悔から、挙げ句に精神を病んでいく者も多いのですが、国家の威信、為政者の野望のまえでは個人は無力です。そこにあるのはたぶんいちずな愛国心だけでしょう。

 

クリス・カイルは米軍史上最多の160人を撃ち殺し「レジェンド」と言われた狙撃の名手。戦闘シーンの迫力は凄まじい。今もウクライナで、またイラクやシリアで「イスラム国」との間で戦われている戦争、一般人や子どもを巻き込んでいく戦争とはこういうものかと実感できるリアルな映像、臨場感、凄いシーンの連続です。

 

クリス・カイルは何とか無事に帰還するのですが、思いがけない最期が待っていました。何が起こったかは、ただ文字だけで観客に知らされるのです。初めてその事実を知った者にとって淡々とした文章だからこそ衝撃的な内容でした。彼の家族を思って映像ではなく文字だけにしたそうですが、レジェンドの何という最期。

 

彼の葬列のシーン(これは実際の記録映像だそうですが)で、沿道に掲げられるたくさんの星条旗を見ながら、国家の犠牲になった英雄を、国旗を振って見送る人たちの表情は、戦争の愚かさや不条理を訴えてはいません。ケネディの暗殺と葬儀を思い浮かべました。

これが戦争を受け入れている国民なのだと思うと、不覚にも目頭が熱くなりました。

 

先の大戦が終わって70年目の今年、近々友人と共に靖國に参拝することになっていますが、この映画を観たことでアメリカや実際戦争をしている国の国民を意識して、祖国のために戦い、散華された日本人の御霊に(心の中で大きく日の丸を振って)感謝を捧げてきたいと思います。戦争には反対だとしても、守るべきものがそこにあれば戦うしかないのが人間社会、国際関係なのですから・・・。

 

 

2014年3月 7日 (金)

映画「エンディングノート」

「なら国際映画祭」が企画する“NARAtive”という映画観賞会で、砂田麻美監督の「エンディングノート」を観てきました。場所は映画館ではなく(奈良の旧市内には今や営業している映画館はないのです!)奈良女子大学の講堂。落ち着いた感じのホールで、こうした自主上映会がよく似合う感じでした。

 

この映画は、砂田監督が、がん宣告を受けた父の、死に至るまでの日常をつぶさにドキュメントした作品で、奈良県では初めての上映とのことでした。両親が結婚したころから撮りためていた8ミリフィルムや写真も、巧みに織り込まれていて、夫婦の葛藤もさりげなく見せながら、ひとつの家族の歴史を描いた作品にもなっています。

 

役員を退職し、ようやくこれから家族との人生を、と意気込む主人公に過酷ながん宣告。その戸惑いと無念、限られた命と向きあわされる姿が、本当に痛々しい。暗い映画かと思っていましたが、そうでもない。結構微笑む場面も多く、救われます。

 

たくましく、かつ笑顔を絶やさない、見るからにモーレツ営業マンであった父が、宣告を受けてまず行ったこと、それは仏教にしか縁がなかった自分自身で、キリスト教の教会を訪ね、どうしたら安らかな最期を迎えられるかと司祭に問うことでした。正直に心情を吐露し、司祭のアドバイスを謙虚に受け入れる主人公。そして「いかに上手に死ねるか」と自問自答をしていきます。

 

主治医と向きあう患者、患者の気持ちを推測しながら行う、家族と主治医の対話もリアルそのもの。いつまで生きられるのかと問う患者、どう最期を迎えさせたらよいかと悩む家族・・・。昔、食べたあわびのステーキをもう一度食べたいと、伊勢志摩への家族旅行。その間も大切な時間は刻々と過ぎていく。海辺で幼い孫たちと過ごすおだやかなとき・・・。

 

そしてついに訪れる最期。アメリカに住む長男家族も駆けつける。エンディングノートを書いたからという父に、なおもその真意を確かめようとする生真面目な長男。家族の間で交わされるたくさんの会話。

 

土壇場で交わされる夫婦だけの会話。モーレツ社員の夫とその妻の間はあまりうまくはいっていなかったようでした。お互いに引っかかっていたものを涙で洗い流しながらの和解。この瞬間のためにこの映画はできたのかとも思いました。感動的でした。

 

上映後は、宗教学者山折哲雄さんのトーク、河瀬直美監督も場内から登場しての会場との対話と、まことに濃密なひとときでした。一年おきに開催される「なら国際映画祭」が今年9月にあります。一般のサポーターたちが支え、商業主義とは対称的な映画と出会える楽しみな一年です。

 

 

 

2014年1月10日 (金)

永遠の0ゼロ

映画「永遠の0」鑑賞。VFXVisual Effects)と呼ばれる視覚効果の出来は素晴らしく圧倒されました。また零式戦闘機(零戦)とはどんなものだったかよくわかりました。

内容は特攻隊の任務に向かう若き人たちのさまざまな思いを多角的に描いた物語であり、日本人が決して忘れてはいけない(登場人物の台詞を借りれば、語り続けなければならない)70年前の戦争の一断面です。

 

あの戦争を肯定するか、否定するか、それはさておき、当時すべての日本国民を巻き込んでいった冷厳な事実と、運命に翻弄されながらも必死で自分の生き方を探る人間像を丁寧に描いているのですが、この物語のストーリーテラーを主人公の孫である、今は二十代の若者に設定したことで、より多くの人々を惹きつけているようです。現に観客の多くは若い世代で、隣りの若い女性などは終始ハンカチを握りしめて観ていました。多少ジーンとなる場面はありましたが、若い感性ではそんなに泣けるものかと、つい感心してしまいましたが・・・。

 

零戦の搭乗員である主人公は、卓抜した操縦技量を持ちながらも、残してきた家族を思い、たとえ上司に殴られ、同僚に「臆病者!」と軽蔑されようとも、生きて帰る決意を持ち続けるのですが、やがて内地勤務となり、特攻隊に志願する学徒動員兵を訓練教育する立場になって、徐々に精神的に追い詰められていきます。敗戦まであとわずかというときに彼はついに自ら特攻を志願するのです。その胸に去来したであろう思いを想像することは、今の私たちには簡単なことではありません。

 

尊い命・・・と、ひとことに言ってしまいがちですが、彼らが生き延びていたら、世の中に、国家にどんな貢献をしたかと考えると、最初から(あるいは途中からでも)なぜ戦争を止められなかったか、国家指導者の責任は重いということを「永遠の0」は指摘していると思います。一方で私たちに、国家存亡の危機に一命を賭して戦ってくれた無名の戦士たちに尊崇の思いを持ち続けてほしいと語っていると思いました。

 

今年の正月三賀日で、靖國神社に参拝した人は初めて30万人を超えたそうで、特に若い世代が目立ったとのこと。「永遠の0」を観て参拝を思い立った人もきっといるでしょう。日本の敗戦をどう受け止めるか、今後にどう活かすのかは、靖國に眠る英霊に手を合わせることから始まるという意味でよかったと思います。

 

友人は、しかし、なぜA級戦犯を靖國は祀ったのか、それだけは肯けないと語りました。そう感じている人は多いと思います。靖國「問題」がなぜ始まったか。その歴史を順に振り返るとこういうことです。

 

昭和27428日にサンフランシスコ講和条約が発効したのち、ただちに私たちの先輩たちは、戦犯釈放の署名を4000万も集め、国会はこれに応えて社会党を含めた圧倒的多数で次のような決議を行いました。

 

同年6月、参議院で「戦犯在所者の釈放等に関する決議」、12月、衆議院で「戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議」、翌年8月、衆議院で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」、さらに昭和30年、衆議院で「戦争受刑者の即時釈放要請に関する決議」

そして講和条約11条に基づき、関係国11ヶ国の同意を得て、受刑者は赦免釈放されました。

 

靖國神社は、昭和53年、東京裁判で死刑を宣告されたものを「昭和殉難者」として合祀し、その事実は翌54年に公表されました。そのあと昭和60年までの64ヵ月にわたって、大平正芳、鈴木善幸、中曽根康弘の歴代首相は計21回靖國参拝を行っていましたが、この間中国も韓国も反対を叫ぶことはなかったのです。

 

ところが昭和60年、中曽根首相の参拝直前、朝日新聞が「靖國問題」を提起したことから、これに呼応するかのように中国が首相参拝非難を始め、ときの胡耀邦に気を遣った中曽根首相が参拝を取りやめたことがこんにちの靖國参拝問題です。(私は朝日新聞の正体を知って、それまで漫然と購読していたことを後悔しただちに購読を止めました。)

 

突然尖閣諸島は自国のものだと主張し、あたかも以前から領土問題が存在するかのように一方的な宣伝を始め、今また靖國を参拝した安倍首相を「歴史に学ばない」軍国主義者として世界中に喧伝する中国こそ、嘘つきの卑劣な国家です。韓国はともかく、中国のプレゼンスは無視できません。私たち日本人はどう対応すべきなのかが問われています。日中「友好」のために靖國参拝をするなと大声で叫ぶ日本のメディアにははっきりノーと言わなければなりません。

 

「永遠の0」を観た若い世代の人たちが、正しい歴史を知り、戦争について真剣に考え続けていってほしい。同じ世代で戦場に散っていった人たちの無念に応えるためにも・・・。

 

 

 

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