日記・コラム・つぶやき

2017年11月12日 (日)

(289)横田早紀江さんの手紙

横田めぐみさんの母である早紀江さんから便箋5枚にも及ぶ自筆のお手紙をいただいた。今月6日のトランプ大統領との面談前のご多忙な時期に書いてくださった。9月にお邪魔したときに体調がよくないことを具体的に語っておられ、現にこの手紙にも「六日には大統領との対面が近づいておりますのに、喉風邪でしょうか、声が全く嗄れて出なくなり喉が痛く咳も出て、六日迄に何とか治る様に点滴をし、お薬を貰って来ました」と書かれている。

 

そんななかで綴ってくださった、美しい字と、お心のこもった内容。読ませてもらっているうち自然と涙が流れでた。なんという優しいお人であることか。そして強いお人であることか。この方と、この世でお会いできたことだけで、これまで生きてきた甲斐があったとさえ思う。

 

早紀江さんは41歳のとき愛娘を捕られ、それから40年という月日、過酷な人生を強いられている。最初の20年、つまり61歳までは愛娘の所在さえわからなかったのだ。その時期が一番苦しかったと話されている。しかし、北朝鮮にいると判明して、会える日が来るという期待が生まれてから、また無情にも20年が過ぎていったのだ。取り返してくれない日本政府への憤りをお持ちになっていることは容易に想像できるが、家族としてあからさまに政府を批判することもできない。今年、拉致を許してしまったことを「国家の恥」と発言されたのが精いっぱいのところだろう。

 

手紙にはこう書かれている。

「今や北朝鮮と言う異形な国が世界に顕わされ、関心を持たれる様になりました。後一歩と言う大事な時が来ましたが、全ては人の思いや力ではなく、神の御意志がどう働かれますのか・・・?と、息を呑む思いで暮らしております。」

 

ご家族の思いに応えられず、この境地まで追いやってしまっている日本という国は、もはや国家の体をなしていないし、他人事のように拉致問題を聞き流す国民の責任も大きい。市井の一人としては今後何ができるだろう?今週、めぐみさんが拉致された1115日、新潟の拉致現場に行く予定をしている。めぐみさんと横田家の皆さんの思いに1ミリでも近づくために・・・。

 

 

 

2017年11月 4日 (土)

(288)希望の10月

10月は、個人的には「拉致被害者救出・府民の集い」の開催と、新たな仕事を始めたりと大忙し、世間的には、意外な結末となった衆議院選挙がありましたが、敢えて「希望の10月」だったと強弁したい(?)と思います。

 

<安倍一強の継続>

 小池都知事の「希望の党」が失速して野党が大混乱し、「立憲民主党」という左翼政党が野党第一党になった衆議院選挙。小池氏、前原氏が行った民進党の解体は、一度は通らなければならない道で否定的にみる必要はまったくない。成熟した二大政党制にはまだまだ時間が必要ということ。

 自民党の「圧勝」と言われているが、果たしてそうか。安倍さんの運の強さは認めよう。しかし、選挙中に、トランプ大統領と拉致被害者家族を引き合わせることを、(自身の功績といわんばかりに)言い立てたのはフェアな態度か。筆者の安倍批判は、拉致を政治利用しているという疑念にある。北朝鮮へ真に圧力をかけるというなら、朝鮮総連を今のままにしておいて良いはずがないし、後記のような政界における「圧力」を払拭することに取り組んでもらいたい。

 次世代を担う小泉進次郎氏の、自民党に対する国民の視線は厳しい、という認識と勇気ある発信にこそ希望があるという気がする。

 

<カンテレ>

 カンテレの「報道ランナー」が、大阪での拉致被害者救出活動を約10分間紹介してくれた。冷淡なメディアが増える中、丁寧に取材してくれたI記者に感謝したい。

 番組を観た見ず知らずの地方議員の方から、「私の周りでは、北朝鮮や拉致の問題に関わること自体がタブーになっていて、園遊会への招待や表彰に差し支えると言われている」という告発をいただいた。この種の隠然とした圧力が今なお日本国内に存在していることを知らされた。メディアへも同様のプレッシャーがあることも容易に推測できる。この国内の現実との闘いが必要なのだと再認識する。筆者の手にはあまる仕事だが。

 

<仕事>

 不動産の仕事を再開した。週2日でよいと寛大な条件で誘っていただいたご縁に感謝して、体力の続く限り、できるだけ限りのことはさせてもらおう。70歳を過ぎて意気軒高な何人かのみなさん(中には80台半ばの方も)との交流も再開でき、嬉しいことである。

 

 

 

2017年10月22日 (日)

(287)めぐみさんのことを語ろう(3)

劇団夜想会主宰の野伏翔さん、特定失踪者問題調査会代表の荒木和博さんの講演は、なぜ拉致事件が引き起こされたか、なぜ解決しないのか、についての問題提起でした。

 

<野伏翔さん>

舞台劇「めぐみへの誓い~奪還~」の制作動機やプロセス、その間に勉強したことを話してくださった。

 

最初のバージョン「めぐみへの誓い」ができた2012年、周囲の抵抗が強かった。演劇や映画界は北朝鮮にシンパシーを感じる人が多い。どういう風にやれば本当の啓発になるか、を考えた。昔こんな誘拐事件がありました、ではなく、観る人に拉致被害者の家族や友人と同じような感覚になってもらうことが大切だと考えた。過去のことではなく現在進行形の誘拐事件であること、強制収容所など非人道的な部分も描かなければならないが、一部の家族から、うちの子も収容所に入れられ、もう殺されていると世間は思うのではないか、といった反対が出された。家族の集まりで劇の主旨を話したとき、「そういうこと(啓発としての劇)ができないから(拉致問題は)動かないんだ、ぜひやってもらいたい」と大声で応援してくれたのが有本のお父さん。そのつるの一声で動き出した。新しいバージョンの「奪還」では、被害者ごとの具体的な拉致の場面も描いた。

 

どうしてこんなに長い間解決しないのかを考えると、政治の背景に何人も北朝鮮や朝鮮総連シンパの有力議員がいたことが分かってきたと実名を挙げて話され、北朝鮮帰国事業についてや、北朝鮮が日本からカネを巻き上げる実態も具体的に話された。救出段階では首相の英断で超法規措置がとれるかどうかにかかっている。そのための世論形成が必要で、頑張っていきたい、と力強く締めくくられた。

 

<荒木和博さん>

「めぐみさん拉致の真実」と題して、日本の闇の深さを語ってくださった。安倍さんがいくら頑張っても解決しない、そういう問題だと明言された。

 

めぐみさん拉致について、40年前拉致されたとき、すでに北朝鮮の拉致であることを、警察の上層部はもちろん、政府ももちろんトップの首相も知っていた。なぜか。普通の誘拐事件なら極秘捜査するはずだが、姿を消した翌日には機動隊が700人も出て大規模な捜索をしていた。さらに当時の新潟中央署の松本署長(故人)が9年前、横田さんに、当時北朝鮮の仕業だとわかっていたが、救出できなかったことを詫び、私が生きているうちに伝えたかったと語っている。

 

警察は、事前に電波情報で北朝鮮が何かしようとしていることはわかっていて警戒はしていた。だからめぐみさんの捜索願がでたとき、北朝鮮の拉致だと直感したはずだ。そこでせめて船に乗せられ、日本の領土から運び出すのを阻止すべく必死に動いたはずだが失敗したため、これは表に出せないと判断し、箝口令が敷かれた。警察でも末端の人は知らなかっただろう。公安畑の知識のある人だけが知っていたと推測される。おそらくこのことは首相官邸も知っていた。しかし中学生が北朝鮮に連れていかれたことが表沙汰になったらどうするか、日本は北朝鮮との国交はない、戦争はしないことになっている、だから助けられない。見殺しにするしかなかった。これがこの国の現状です。

 

めぐみさん拉致の2か月前起こったダッカのハイジャック事件のとき、福田首相は犯人の要求に屈して、超法規的措置により、16億円の身代金を支払い、収監していた犯人の仲間たちを釈放した。「人間の命は地球より重い」というなら、いかなることをやってでもめぐみさんを救出しなければならなかったはず。しかししなかった。この国は戦後、戦争を放棄したと言って自慢してきた。いくら戦争を放棄したって、戦争は日本を放棄しない。実際は戦争を放棄したのではなく、在日米軍にやらせていただけ。アメリカも自分の都合のいいときは戦争をやるけれども、そうでないときにはやらない。拉致についてもそうで、めぐみさんはその間の隙間というか、穴に落ちたのだということだろう。

 

次に1995年(平成7年)頃、新潟県警の警備部のあるスタッフが、上司から横田めぐみ失踪について調べるように言われた。しかも他の者には知られないよう、お前だけでやれ、と言われた。言われた方はなぜこんな指示が出たかわからなかった。この時期は、韓国の情報部から、中学生が70年代の後半、バドミントンの練習の帰りに拉致されたという情報がもたらされたときです。石高健次さんが警察にそれを伝えたが、過去のことで資料も残ってないと言われた。これは間違いなく警察のウソである。このことは横田さんのご家族にも、ましてや一般国民には知らされなかった。これが2回目の隠ぺいです。

 

3回目は1997年(平成9年)の23日、めぐみさんについて西村真悟議員が橋本龍太郎総理大臣に国会で質問した。総理は何とかしなければと本気で思って、密使として民族派の幹部本多一夫氏をピョンヤンに送った。そのとき、本多氏は北の案内人から「横田めぐみは、あのアパートに住んでいる」と言われた。「フラッシュ」という週刊誌にも出ている。5年後、小泉訪朝のとき、1993年に横田めぐみさんは死んでいるといわれたときに、なぜ日本政府代表団は、それは違うと言わなかったのか。象徴的なめぐみさん拉致についても3回も隠ぺいしている。

 

これは一人、二人の政治家が悪いというようなことではない。私が解決すると言っている安倍さんでもこのことは言えない。自民党政権のみならず、細川政権でも民主党政権でも何ら変わらなかった。それだけ根深い問題であるということです。政府が認めている拉致事件は、未遂も含めて14件、21人です。警察が認定した高姉弟も入っているが、これらの事件についても警察は家族に捜査状況、結果について事実上一切何も知らせていない。有本さんはヨーロッパからの拉致ですが、警察はものすごい捜査をしていますが、表に出そうとしない。これがこの国の実情です。

 

もし、北朝鮮に助けに行ったとして、被害者に会えた場合、被害者は安心して「良かった!」と言う人はほとんどいないだろう。助けに来たと言っているこの人たちは本物だろうか?自分を試しているのかもしれない、「帰りたい」と言ったとたんに殺されるかもしれない。収容所に送られてしまうかもしれない。おそらくそう考える。帰国された蓮池さんたちも、自分たちがどこでどういうふうに拉致されたか今も正確には話していません。今の北朝鮮の体制が崩壊しない限り恐怖から逃れられないということです・・・。

 

今回の「めぐみさんのことを語ろう」と呼びかけた集会は、ゲスト、講師の真摯な思いが披歴されたことにより、筆者が当初考えたより、はるかに濃厚な内容となりました。参加された方々が、拉致の真実を広めるために動いていただくことを期待したいと思います。

 

10月も終わろうとしている今、日本では安倍長期政権を作るための選挙が行われています。野党勢力が分裂し、自公連立政権の大勝利と予想されていますが、もしそうなったとしても、115日、安倍さんとトランプさんがガッチリ握手をしても、手放しでは喜べないと思います。日本人が本気になって拉致被害者を救出するという覚悟をしない限り。

 

 

2017年10月19日 (木)

(286)めぐみさんのことを語ろう(2)

続いて「府民の集い」は、横田めぐみさんの弟で、家族会事務局長を務めていらっしゃる横田拓也さんが登壇され、冒頭、清水さんの話を聴き、拉致当時のことを思い出して(動揺されたのか)落ち着かない気持ちになったと。講演の順番を決めた主催者として配慮が足りなかったかと反省しました。しかし、限られた30分の中で、拉致被害者の家族として、家族会の事務局長としての訴えをしてくださいました。要旨はおよそ以下のとおりでした。

 

拓也さんは当時小学3年。当日はお姉さんが帰宅しないため、真っ暗な海岸や近くにあった昼でも怖いような廃墟となっているホテルの中まで、娘を探し回る母に手を引かれて行ったときの恐怖心や、大勢のお巡りさんがやって来て、逆探知装置をセットしたりし、わが家がまるで当時テレビの人気番組だった「西部警察」の舞台になったようだったこと、ひまわりのような存在だった姉がいなくなり、家の中は一変してしまったこと、一番辛かったのは、北朝鮮の仕業とわかるまでの20年間だったこと。

 

悲しさを癒すために犬を飼ってくれた父が、毎日朝晩散歩をする道すがら、それとなく娘を探している様子や、夕陽の海岸でデートをしているアベックの車の助手席まで、娘ではないかと見に行った母親の気丈さなど、両親の真剣さ、つらさを子供心に感じていたこと、心無い人間からの脅迫電話も幾度かあったが、そんななかで泣き言ひとつ言わない父が、ある夜、お風呂でひとり、頭からお湯をかぶりながら声を殺して泣いていた姿を偶然見てしまったことなど、拉致によって家族中が受けた衝撃と苦悩を話された。

 

1997年、国会で北朝鮮の拉致が疑われ、決算委員会での質疑となったとき、めぐみさんの実名を出すかどうかで、家族のなかで激論となったこと、最後には実名を出さなければ世間は味方をしてくれないと父が決断したことで、世の中が動き始めたが、当時のメディアは北朝鮮のことを「北朝鮮 朝鮮民主主義人民共和国」とわざわざ呼び、腫れ物に触るように扱っていたこと。政府や国会でも、北朝鮮の実態とか真実を見つめないようにしようという環境づくり、雰囲気作りが行われていたこと、そのために日本国民が拉致事件、拉致問題に向き合えなかった大きな遠因だといまでも思っている。家族は、北朝鮮に拉致被害者を返せというまえに、北朝鮮へコメ支援をする日本政府に対して声をあげていかなければならなかった時代が、ついこのあいだまであったということを知っておいてほしいし、北朝鮮の主張を代弁するようなコメンテーターが堂々とテレビに出ていた、そのことに私たちは苦しめられた、このことは絶対に忘れません、と。

 

私たちは個人の立場でしかなく、北朝鮮に対して直接何もできないが、民主主義の日本では民意こそが重要で、言葉が武器であり、思いを言葉にし、外務省を動かしていくことができる。北朝鮮にはない私たちの力です。政府の拉致問題対策本部のホームページにある拉致年表を読むと、拉致された1977年から拉致判明の2002年まで、私たちがもっとも苦しかった25年がわずか45行で片付けられています。姉がその人生において失った大切な40年、奪われた40年のことは、姉だけのためではなく、日本人として決して許せないことなのです、皆さんにもぜひ我がこととして言い続けていただければと思います。

 

2002年に金正日が拉致を認め、5人を返したのは好意から出たものではなく、ブッシュ大統領が北朝鮮を悪の枢軸と呼んだことから、これは本気でやるぞという意思だと北朝鮮が感じて、米朝の関係悪化を回避するために日本を使おうとしたに過ぎない、一部白旗をあげたということでしかありません。そのとき死亡とされた姉を含む被害者についての証拠に信ぴょう性は何もなかったし、姉の「遺骨」もニセものだったということは、日本という国がバカにされているということです。北朝鮮では日本への侵入は、トイレに入るよりたやすい、レベルの低い工作員でも簡単に入れるといわれているそうです、場合によると870人以上が拉致されていて、うち5人しか帰ってきていない。拉致事件を解決できないようなら日本の安全保障はないし、北朝鮮の国民自身も人権人道上の被害者であるからその視点からも金正恩政権を許してはならない、と。

 

最後に9月の訪米報告。核・ミサイル問題等安全保障の脅威のなかに、拉致事件が埋もれてしまわないように、再度北朝鮮をテロ国家に指定してほしい、と強く要請してきた。大統領が国連総会で姉のことに言及されたことは前進ではあるが、ブッシュ大統領時代の2006年訪米の際にもお願いしてきたが、その後何も解決できていない。姉たちが帰ってこなければゴールとは言えず、日本政府にはものすごいスピードで頑張ってもらわないといけない。しかし、国内で拉致実行犯、協力者の誰ひとりも捕まっていないのもなぜか。両親はじめ私たち家族は、40年苦しめられたうえに姉に会わせてもらえないのか。そんなことはあってはいけない。

 

「おかげさまで姉が帰ってきました。ありがとうございました。」とみなさんに感謝を早く言える日がくること、そのために、今日も大阪の皆さんから「気」をいただきました。負けずに頑張っていきますので、どうかよろしくお願いいたします。(要旨以上)

 

拓也さん。ありがとうございました。大阪の「気」を感じていただいたとしたら嬉しいことですし、これからもともに頑張っていきましょう。筆者も拓也さん以上に、何の力も持たない一市井の人間ですが、一生懸命頑張っていきます。

 

 

2017年10月17日 (火)

(285)めぐみさんのことを語ろう(1)

「めぐみさんのことを語ろう」と呼びかけた今年の「府民の集い」は、109日に予定どおり開催、満員になって、参加された方からも「これまでのなかで一番良かった」と言われたりしてホッとしました。ただ、満員といっても250名の会場でしたので、昨年の370名よりも減りました。

 

最初に横田早紀江さんからお預かりしたメッセージを紹介したあと、トップバッターをお願いしたのが、サプライズゲストの清水雅生さん。めぐみさんと小6、中1で、同じクラス、同じバドミントン部の友人。彼はまず小学校の卒業式後の謝恩会で6年生全員が演奏した合唱曲、シューマンの「流浪の民」の音源を持参し、会場で披露してくれました。

 

各地を放浪するジプシーの生活を歌ったこの曲を、なぜ卒業式で選んでしまったのか、という清水さんの疑問と悔恨の思いに共感しました。「流浪の民」のジプシーには家族がいますが、めぐみさんはたった一人で連れていかれたのですから、その苦しみ、哀しみは比較にはなりません。美しい日本語に訳された歌詞です。

   

「流浪の民」 石倉小三郎訳詞

ぶなの森の葉隠れに

宴寿(うたげほが)い賑わしや
松明(たいまつ)(あか)く照らしつつ
木の葉敷きて倨居(うつい)する
これぞ流浪の人の群れ
(まなこ)光り髪清ら
ニイルの水に浸(ひた)されて
(きら)ら煌ら輝けり

燃ゆる火を囲みつつ
燃ゆる赤き炎 焚火
強く猛き男(おのこ)安らう
巡り男休らう
(おみな)立ちて忙しく
酒を酌()みて注()し巡る

歌い騒ぐ其の中に
南の邦(くに)恋うるあり
厄難(なやみ)祓う祈言(ねぎごと)
語り告ぐる嫗(おうな)あり

(めぐ)し乙女舞い出(いで)
松明明く照りわたる
管弦の響き賑わしく
連れ立ちて舞い遊ぶ

すでに歌い疲れてや
眠りを誘う夜の風
慣れし故郷を放たれて
夢に楽土求めたり
(この下線部分がめぐみさんのソロ)
慣れし故郷を放たれて
夢に楽土求めたり

(ひんがし)空の白みては
夜の姿かき失せぬ
ねぐら離れ鳥鳴けば
何処(いずこ)行くか流浪の民


何処行くか流浪の民
何処行くか流浪の民
流浪の民

 

曲が流れはじめると、この哀しく、美しいハーモニーのなかに、めぐみさんがいると思うだけで、すぐに胸がいっぱいになってしまいました。会場全体もそんな感じでした。ソロを歌うめぐみさんは知的な、気品さえ感じる声でした。

 

親しい友達「横田」を失った清水さんの哀しみが心を打ちました。人前では控えめだったが、明るく、思いやりのある性格だった、と清水さんはいくつかのエピソードを語ってくれました。

 

そして、突然姿を消したその夜のこと。その翌日の学校でのこと。そして2004年に、北朝鮮がニセの遺骨とともに送ってきた写真のなかの一枚について。中学の制服の下に着ていたジャンパースカート姿だったことから、拉致されてからそんなに時間が経っていない頃と思われること、工作船の中で「お母さん、助けて!」と泣き叫びながら、壁をかきむしって指の爪をはがしてしまったために、治療中の手の部分が写されていないと思われること、同級生のみんなも「痩せて、魂の抜けた」表情に驚いたことなど、を率直に話されました。

「この写真こそが拉致の本質、残酷さを表している」と、仲良しで無二の友達を奪われた40年前の少年は訴え、「府民の集い」は、深く心に残るオープニングとなりました。

 

 

2017年9月30日 (土)

(283)横田早紀江さんとの対話

今週火曜日に、ご自宅のある川崎のマンションに横田早紀江さんを訪ねました。こんどの大阪府民集会に寄せるビデオメッセージを収録させてもらうために。

1時間50分もお邪魔をして、いろいろなお話をさせていただきました。これまでも何度かお会いしましたが、こんなにゆっくりと対話するのは初めてでした。

 

身体のあちこちが痛むそうですが、気が張っておられるからか、凛とした佇まいはテレビで拝見するお姿と変わらず、さすがと感じ入りました。

 

直近のアメリカのトランプ大統領が、国連演説で初めてめぐみさんのことを語ったことへの素直な喜びから、一向に動かない日本政府へのいらだたしさ、一昨年モンゴルで孫のヘギョンさん夫妻とひ孫と面会したときのこと、また、めぐみさんが拉致される前のご家庭の様子やめぐみさんのこと、さらには戦時中、京都の田舎に疎開した頃の思い出まで、話題は多岐に亘りました。ありがたいことでした。

 

疎開先で、ひもじさのあまり、ふすまのこげ茶色の取っ手がチョコレートに見えたと「めぐみへの手紙」(早紀江さんの文章が今年から産経新聞に随時掲載されている)に書かれていましたね、と水を向けると、本当にひもじく、つらい疎開生活でした、でも疎開先で生まれて初めて体験した、息をのむような自然の美しさや、生きものたちとの出会いなどは新鮮で、その感動は決して忘れられないものになり、今も私を形作っていると思っています、とおっしゃった。

 

世の中には、必ず両面があり、娘を拉致され、死にたいとも思い、発狂しそうな時もあったが、信仰を与えられ、多くの人に支えられて今がある、目に見えない大きなものに守られていると実感します、と述べられた。

 

日本は立派な国で、素晴らしい人もたくさんいるのに、正義と悪の認識があいまいで、そのためまだまだ本気度が足りないために、北朝鮮にやりたい放題されてしまって、子どもが拉致されても救えないことは本当に残念ですが、絶対にあきらめない、めぐみと会える日を信じています、と結ばれた。

 

私のモットーは、「感謝を忘れず、ベストを尽くす」なのですが、こんなに日本のために頑張ってくださっている横田ご夫妻には感謝しかありません。私は拉致問題と関わらせていただいて、たくさんのことを学ばせていただきましたが、ご夫妻の存在のおかげです、とお礼を述べ、ベストを尽くす決意を新たにしました。

 

2017年9月16日 (土)

(282)尊厳死協会

先日の誕生日に、日本尊厳死協会に入会届を出したところ、折り返し会員証が届きました。

会員証には次の3点が書かれています。

 

 私の傷病が、現代医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると判断された場合には、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置はお断りいたします。

 ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により充分な緩和医療を行ってください。

 私が回復可能な遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持装置を取りやめてください。

 

担当医がはたして不治の状態であると判断してくれるのか、一抹の不安はありますが、この歳になれば、無駄な治療は受けたくない、クオリティ・オブ・ライフ(QOL=生活の質)を優先したいというリビング・ウィル(生前の意思)を、まず本人がきちんと示しておくことが、身内の者にとっても必要であろうと思いました。

 

昨年、橋田寿賀子さんが、私は安楽死で逝きたい、とエッセイを発表したことから、安楽死が話題となりましたが、尊厳死協会の長尾和宏副理事長によると、日本では安楽死はおろか、尊厳死も法的にクリアされていないといいます。リビング・ウィルを認めていないのは先進国では日本だけだそうです。なぜか。

 

ドイツ文学者の池内紀さんが「すごいトシヨリBOOK」(毎日新聞出版)というおもしろいエッセイを出しましたが、日本人の医者や医学への過大評価は信仰と言ってもよいくらい。人間は本来自分を治癒する力をもっており、自分の体は自分が一番よく知っているはずなのに、医者にすがろうとする。数分診察したくらいで正しい診断ができるわけがないと、明快です。

 

高度な医学で治そうとすると、患者は非常に苦しむことになる。歳をとってからの病気は治そうとしてはいけない、手術は止めましょう、と言ってくれる医者こそ信頼できるが、大きな設備を持っている大病院の医者が言うわけがない、と書いています。長尾さんは医者だから、なぜ日本では尊厳死を認めていないかハッキリとは言わないが、池内さんはズバリ、医学界が儲からなくなり反対するからだと。健康診断も必要なし。歳をとれば悪いところがあって当然、わざわざ悪いところを見つけてもらいにいくことはない!と。同感だなあ。

 

この池内さんの本は、尊厳死協会入会後にたまたまネットの書評を読んで買ったものですが、彼も尊厳死協会に入っていると知り、ハタと膝を打ったものです。

結果、少しでも日本の医療費を減らすことになれば、気持ちだけでも若者に報いることができますしね。

 

 

2017年9月 8日 (金)

(281)Fさんを悼む

9月がスタートする1日の朝、未明にFさんが亡くなったという知らせが届きました。まさか・・・。819日のコンサート会場で会い、数日前に電話もしたばかりなのに・・・。Fさんは、筆者よりもずっと長く拉致被害者の救出に取り組んできた仲間。ちょうど1週間が経ち、ことの経緯が分かってきました。何と・・・・自死だったのです。

 

Fさん。あなたが亡くなる日に梱包したと思われる段ボール、配達指定された水曜日に、確かに受け取りましたよ。そこには、あなたが長年、精魂込めて収集した拉致被害者や拉致問題に関する膨大な資料を収めたCD、それを編集し128ページの冊子にした資料集(これは19日に手渡ししてくれました。)10数冊。そして何も書かれていない未使用のノートなど。最期に及んで何を想ったか、考えたかは、残念ながら一行も書いてありませんでした。

 

その資料集は、8月に完成したばかり。表紙には、あなたがいつもその意味を我々に説いてくれた漢詩「天莫空勾銭 時非無范蠡」とその意味が書かれています。

 

天(てん)勾銭(こうせん)を空(むな)しゅうすること莫(なか)れ

時に范蠡(はんれい)無きにしも非(あら)ず

 

あなたの解釈は、

(天は勾銭<中国春秋時代の越王>に対するように、決して拉致被害者をお見捨てにはなりません。きっと范蠡<越王勾銭に仕えた家臣>の如き武士(もののふ)が現れ、必ずや皆様をお助けするでしょう。)

 

ここ何年かは、真冬以外は、この漢詩をプリントしたTシャツを着て、資料を配布し、マイクを持っては、街頭を行く人に拉致被害者の救出を訴えていましたね。しかもその活動範囲は北海道から沖縄まで、活動や集会があると聞くと、優に50キロ以上はあろうという荷物を両手に下げて日本全国を回っていました。誰もまねのできない、Fさんの仕事でした。

 

しかし、今となってようやく、あなたがどれほどの孤独と闘いながらこの仕事と取り組んでいたのか、を思い知りました。私たちに語っていたあなたの生業も、2年前には辞めていたと聞きました。つまり、2年前から、自ら期限を切った人生を生きてきたのですね・・・。

 

私はあなたの仲間ではあっても、友人ではなかったことを悔やんでいますが、おそらくその意味での友人はひとりもこの世にいなかったようにも思います。間違っていたらごめんなさい。

 

あなたが資料集に(菊水版)と書いた思い。人生をかけた1冊を私たちに残したということが、あなたの「菊水作戦」だったのですね。

 

還暦前という若さですが、私は立派な人生だったと思う。「長く生きればいいわけではないよね。何を残せたかが大事じゃないのかな。」と言うあなたの声が聴こえます。これからずっとあなたの死を、考え続けていくことになります。       合掌。

 

 

 

2017年9月 3日 (日)

(280)誕生日に

73回目の誕生日を迎えました。頗るとはいえないまでも、まあまあ元気でこの日を迎えられたことはありがたいことだと思います。

 

プレバースデーの昨日、五嶋龍さんと大阪大学交響楽団による“拉致被害者を忘れない”スペシャルコンサートを聴きに行きました。曲目はベルディの「運命の力」序曲、チャイコフスキーの名曲「弦楽セレナーデ」と「ヴァイオリン協奏曲」の3曲。どれも1200人の聴衆を魅了する力演でしたが、やはり龍さんがソリストを務めた「ヴァイオリン協奏曲」は素晴らしかったです。

 

阪大の諸君は、演奏だけでなく、拉致問題についての勉強もしたそうで、パンフレットに外国語学科朝鮮語専攻の渡辺さんが「拉致問題の現状」という一文をわかりやすく紹介していました。50数年前、筆者も合唱団のサークルで、音楽と社会との関りを真剣に議論したことを思い出します。好きな音楽を自分たちだけの楽しみに終わらせず、社会に受け入れてもらい、考えてもらえる音楽が必要だと議論をしていました。阪大の諸君が龍さんの呼びかけに応えて、拉致被害者のことを勉強し、昨日のコンサートを成功させたことは貴重な経験だったと思うし、きっと将来につながるものと思います。

 

龍さんは、演奏後マイクを握り、今回のプロジェクトについて簡潔に説明し、会場に向かって今日から拉致被害者のことを思い、何かできることをやりましょう!と語りかけてくれました。そして最後にアンコールに応えてドボルザークの「我が母の教え給いし歌」を弾いてくれたのですが、北朝鮮にいるめぐみさんへの想いを込めた選曲だと思うと涙なしには聴けませんでした。

 

そして今日、誕生日を迎え、多くの人と手を携えて、残りの人生を悔いなく生きることを心に誓いながら、街頭署名活動をしていたら、北朝鮮が核実験を行ったというニュースが流れました。よくもやってくれたな、と怒りを覚える一方で、北朝鮮こそ追い込まれ墓穴を掘っている、この無法国家との闘いこそが日本人を覚醒させるのだと思い直しました。

 

「我が母よ、さらなる勇気を我に与え給え!」

 

 

2017年8月27日 (日)

(279)往く夏に

前日の豪雨で開催が危ぶまれた秋田・大曲の花火大会は、関係者の徹夜の作業で会場内の整備ができ、昨夜は快晴の空に見事な花火が打ちあがりました。日本一の花火を一度は観たいものと大曲まででかけたのはもう8年前。そのときは帰宅してからテレビの再放映を観て、「テレビでは少しも美しくない」と日記に記しています。昨日会場で観た人たちの興奮やいかに、と思いました。帰り道、大混雑で5時間もかかって「つなぎ温泉」へ着いたのは深夜2時半だったことも懐かしい思い出ですが・・・。

 

その昨日は、びっくりするほど涼しく凌ぎやすい一日で、夜もエアコンを使わずに済みました。今日以降はまた猛暑日が予報されていて油断はなりませんが、徐々に秋へと移っていく節目が昨日だったと感じます。

 

この夏の印象に残ること・・・。

 

この夏は出かけることが多く、あまり読書もできなかったのですが、行き返りの電車で読んだ百田直樹の「海賊と呼ばれた男」は評判通りでした。5年前に単行本が出て、大ベストセラー、昨年には映画化もされたのですが、なぜか天邪鬼なものですから、ブームが終わった今ごろになって文庫本を買いました。出光興産の創始者出光佐三を描いたノンフィクションに限りなく近い作品ですが、「終戦直後のあの時代、皆が下を向いていたときに、とんでもないことをしでかした男たちがいたという驚き」という、映画化した山崎貴監督の言葉に尽きると思います。

 

出光についての関係書はたくさんあるわけですが、百田直樹は当時あたかも出光佐三の側近だったかのように、モデルとなった国岡鐵造とその部下たちをいきいきと描いています。「永遠のゼロ」で示された彼の力量をあらためて感じました。今の混とんとした日本に生きる読者は、この本から有無を言わさぬ形で、日本人のあるべき姿と勇気を感じ取り、本の評判を広めていったのだと思います。本屋大賞をとったのも当然といえば当然で、筆者も自分自身、まだ歳云々をできない口実にしてはいけないと自戒しました。

 

「今、日本はいい国ですか?」と呼びかける宣伝ビラ・・・知人から勧められて観に行った「流れる雲よ」という舞台劇にも深くこころを揺さぶられました。敗戦間近の知覧基地での特攻隊員たちを描いた作品。突然ラジオが2017年の未来からの電波を受信し、まさに特攻出撃の前日に日本の敗戦を知ってしまう。動揺しながらも、小隊の全員が未来の日本のために命を捨てることをあらためて決意し、出撃していく・・・。

 

商業演劇ベースには乗りにくい作品ですが、「劇団集団アトリエッジ」という初めて聞く劇団が、支援者たちとともに20年間も上演し続けているという事実に感銘を受けました。主人公が「今、日本はいい国ですか?」と問いかけるエンディングに、観客はそれぞれが今の日本に思いを巡らせ、自らの生き方を見つめ直したと思うし、俳優たちの輝く瞳と爽やかさ、半端でない全力投球の演技は、散華された若き特攻隊員に充分応えられるものであったと思います。思いのほか若い観客が多かったことにも希望を感じることができました。

 

 

 

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