« (267)忖度 | トップページ | (269)「究極の協奏曲」コンサート »

2017年6月 5日 (月)

(268)電磁パルス攻撃

スマホでニュースを読んでいると、関連した情報について記事が次々と紹介されるので、時間さえあれば、いくらでも知らないことに出会うことになります。普通の新聞ではこういうことはできません。先日北朝鮮のミサイルの記事から誘導されて「電磁パルス攻撃」とは何かを知ることになりました。以下、読売新聞の永田研究員による「高度上空の核爆発でおきる『電気がない世界』の恐怖」という記事からです。

 

「電磁パルスは、一定の高度で核爆発が起きた時に起きる電磁波のことだ。核爆発により放出されるガンマ線が空気分子と衝突することで発生する。電磁パルスが地磁気に引き寄せられて地上に向かう時に大電流となり、電子機器や送電線などに入り込んで破壊してしまうのだ・・・。」

 

つまり地上に核爆弾が落ちてこなくても、上空で核爆発が起きると、電磁パルスが地上に降り注ぎ、発電、変電、送電などの施設はもとより、電子機器にも大電流が入り込んですべてが破壊されてしまう。これは復旧可能な一時的停電ではなく、電力システムの崩壊となれば、1年後には9割の人が死ぬというのです。アメリカではすでに、そうなった世界を描いた近未来小説「ワン・セカンド・アフター(1秒後)」がベストセラーになっているが、邦訳はまだない由。


そういえば最近、日本でも「サバイバルファミリー」という映画が公開され、ある日突然電気が来なくなった生活を描いてはいるが、永田氏によれば、「人の死や暴力的な描写はなく、最後はハッピーエンドも用意されているが、一方、米国では近年、電磁パルス攻撃で起きる『電気のない世界』をテーマとした近未来小説が続々発表され、一つのジャンルを形成している。飢餓や疫病、略奪の横行など社会秩序崩壊をこれでもか、とばかりに描いた作品がほとんどだ」と書いています。

 

日本では科学番組では紹介されているのかもしれませんが、一般にはあまり取り上げられていないように思います。例によって、政府は国民が知り、政府の無策、怠慢を指摘してくるのは嫌でしょうが、効果的な対処方法がないとすれば、それもやむを得ないことかもしれません。じわじわと確実に迫ってくる死の恐怖より、むしろ核が落とされて一瞬で命を落とす方がマシかもしれないと、つい考えたりしてしまいます。

先週、オーストラリアのケアンズで、先住民のアボリジニ、ジャプカイ族の生活と文化に触れる機会を得ましたが、少なくとも5万年以上に及ぶ彼らの悠久の歴史(もちろん日本にも同様の歴史があるわけですが)を想像すると、近代以降わずか百年程度の間に人間が犯している罪の大きさに慄然とします。営々と築いてきた人類の歴史を一瞬で破壊するリスクが、いま地球を覆っていることを、しっかり覚悟しておかなければなりません。

 

 

 

« (267)忖度 | トップページ | (269)「究極の協奏曲」コンサート »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1594571/70772561

この記事へのトラックバック一覧です: (268)電磁パルス攻撃:

« (267)忖度 | トップページ | (269)「究極の協奏曲」コンサート »