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2017年4月25日 (火)

(262)黒澤明の「生きる」

毎月の映画会で、町内の皆さんと一緒に黒澤監督の「生きる」を鑑賞しました。初めて観るという方ばかり。しかも9割方は年配の方で、少々テーマが重すぎるかと案じましたが、観終わった後の集会所の中は言葉にできない深い想いに満ちているように感じました。すぐに席を立つ方はひとりもなく、むしろ感動で立ち上がれない、といった様子でした。

ああ良かった。きちんと受け止められた。それにしてもうちの町内の皆さんのレベルは高いなぁ。心配はまったく杞憂でした。

 

昭和27年の作品で、みんな生きることに必死の時代であったはずですが、終わったばかりの戦争を取り上げることなく、市井を描きながら「生」と「死」の意味を問うとは、さすが黒澤の視点は凄いと思います。末期がんに侵され余命いくばくもないと悟った主人公が、数カ月の人生をどう生きたかを主軸としながら、主人公と息子夫婦の心の断絶や、事なかれ主義の役人たちを丹念に描いていて重厚な人間ドラマとなっています。

 

主人公は早くに妻に先立たれ、再婚話も断って一人息子を育てることを生きがいにしてきました。その息子夫婦と同居をしているのですが、自分が末期がんであることを最後まで話せません。息子の嫁が主人公と別居しようと言い、息子も自分の退縮金をあてにしていることを偶然聴いてしまったからです。息子の野球の試合を応援に行ったときや、息子が入院し必死で介抱したときのことなどを回想する息子との思い出のシーンで、主人公がいかに息子を生きがいにしてきたか、しかし最後の最後で何の力にもなってくれない絶望感と無力感が描かれ胸を打ちます。

 

主人公の通夜の席で、上司や同僚たちが主人公の死についてそれぞれの思いを語り合いながら、書類にハンコを押すだけが仕事だった主人公が、ある日人が変わったように市役所中を歩いて公園建設を訴えていたのはなぜか。結局公園を作ったのは誰の功績だったか、役人たちに侃々諤々議論させて役人たちの人間性に迫っていくという脚本の巧みさ・・・。

 

そして何よりも、志村喬演じる主人公が訥々と歌う哀切な「ゴンドラの歌」の歌詞、「命短し、恋せよ乙女・・・」が、人生どう生きるか悩める主人公の心をみごとに表現しています。人間は独りで生まれ、最期も独りで死んでいく・・・この宿命と、ならば与えられた生をいかに生きるかを観客にストレートに突きつけてくる黒澤の思い。今の時代にもますます輝きを増す、やはり日本映画の秀作です。

 

 

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コメント

もう30年ほど前の話。まだ20歳そこそこの控えめなアメリカ女性に、来日のわけを聞いたら「生きる」という映画を観て、こういう映画を作る国の人たちに合ってみたいという一心からだとの説明だったのを思い出しました。
 ♪い~の~ち~短し・・・♪のゴンドラの歌は、母親がよく歌っていたので、今も耳に残っています。
 今では、毎朝の散歩の途中、林立する樹木をひとり眺めているとふとこの歌が思い出され、まさに「生きる」意味を反芻することが多くなりました。

syさん、コメントありがとうございます。
若いアメリカ女性のお話。これまたすごいですね。
彼女は「生きる」のどこに感銘を受けたのでしょうか?
登場人物の誰に、ではなく、映画を作った黒澤にかもしれませんね。

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