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2016年12月16日 (金)

(246)「自衛隊幻想」を読む

拉致問題から日本の安全保障を考え、自衛隊をテーマに防衛問題を解明する好著である。

拉致問題の専門家である荒木和博氏、陸上自衛隊に特殊作戦群を創設した荒谷卓氏(平成20年退官)、海上自衛隊特別警備隊の創設メンバー伊藤祐晴氏(平成18年退官)の共著。

 

数百人(人数は不明)ともいわれる日本人が北朝鮮に拉致(侵略行為)されながら、この問題に自衛隊はまったく関与してこなかったし、政府も自衛隊自身も、今も関係づけて考えていないと書かれている。その証拠に、諸外国の情報機関も把握している我が「防衛白書」に、拉致の「ら」の字も書かれていないという。北朝鮮がなめてかかってくるのも当然か。

 

安倍首相自身、外務省の「対話と圧力」「行動対行動」という方針を唱えていれば拉致被害者を救出できると本気で思っているのだろうか?彼は世に好戦的なタカ派といわれているが、鷹に失礼ではないか。いくら首相が各国指導者に、北朝鮮の無法と問題解決への協力を訴えても、「おたくの防衛白書を読ませてもらったが、自国民を助けたいと考えているとは思えないよ」とバカにされているだろう。

 

もし、北朝鮮で体制崩壊が起こったとして、政府から拉致被害者の救出を命じられたとしても、今の状況ではまったく自衛隊は対応できないという。50年ほど前に「三矢研究」と呼ばれた自衛隊内の図上作戦演習が問題になって以降、自衛隊内では法律で明確に規定されたもの以外は、「検討もしてはいけない」ことになっているそうだ。

 

よって本書には、著者たちが行った被害者救出について、二通りのシミュレーションが掲載されている。一つは現法制下で行える「邦人輸送」、もう一つは憲法改正(軍隊を保有し、交戦権もあると改正)を前提とした救出作戦。憲法改正には相当な時間が要するため、実現性では前者が勝るが、政府が決断すれば一部の被害者の救出は可能だと書かれている。いずれの作戦も興味深い内容である。

 

伊藤氏は、問題のすべては日本に国家・国民を守りぬくという「国家の理念」がないことだという。指導者が拉致被害者を救い出すという明確な意思を持たないから、自衛隊は動きようがないと。

 

荒谷氏は、平成9年の「アルバニア暴動」でドイツが戦後初めて自国の判断で軍事作戦をとったときのことを書いている。それまでドイツは、NATOの中だけしか軍事力は使わないと憲法に規定していたが、冷戦が終わったこのときから、自国の安全保障は自国で担保しない限り対応できないと方針を変更した。それに引き替え日本は、冷戦が終わったのだから平和になる、日米安保は永遠だと判断してしまった。彼我の差は大きいと。

 

拉致被害者のことは見て見ぬふりをしてきた日本。自衛隊は災害出動だけでよいと考える、決して少なくない数の国民。「専守防衛」というまやかしの美名に酔って、問題と具体策を国民に提示してこなかった指導者や政治家たち。日本は未曽有の危機にあるのだ。

 

荒木氏は、戦後日本で無視されてきた国民の「国防の義務」に触れ、「国防は誰かにやってもらえばよい」としてきたことが、周辺諸国とは比べものにならない脆弱な国にし、拉致被害者を生んでしまった。国民の意識が変わらない限り、国民を守れないと指摘している。

防衛の現場を知る専門家による本書は多くの国民の心に響くはずだ。

 

 

 

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