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2016年8月29日 (月)

(235)「日本という国はない」

現在準備中の「拉致被害者救出・大阪府民の集い」で講演してくださる高世仁さんのブログのタイトルは、「諸悪莫作(しょあくまくさ)」である。「もろもろの悪行をしてはいけない」という意の仏語(日本国語大辞典)であるが、首相をはじめ政治家、官僚の方々には、この言葉を特に座右に置いていただきたい。

 

氏のブログ「水俣が国のかたちとなった」で、長らく水俣病患者とともに生きてきた熊本出身の作家、石牟礼道子さんの言葉が紹介されていた。

 

患者たちと東京によく行った。患者は「日本という国はなかった」と言う。「東京まで行っても、日本という国は、どこにあるかわからなかった。日本という国は人がつくってくれるのではない。自分たちでつくらないと、ない」

 

この一節を読んで、横田早紀江さんが、7月の集会で、「80歳になりました。半分の人生が別離と苦しみと悲しみの中、日本の国はどうなっているのだろうと、本当にこの頃思います。」と話されたことを思い出した。早紀江さんの思いは、水俣の患者の思いと同じと言ってよいと思う。

 

水俣の患者は、毎日の食事で水銀入りの魚を食べて病気を発症した。被害者に何の罪もないことは拉致被害者と同じ。国は水俣病の患者としての認定基準を厳しくし、認定を拒む。これもまた拉致認定を増やさないのと同じ。さらに水銀を垂れ流していたチッソを救済するためには多額の国家予算を投入。これに見合うのが破綻した朝鮮信用組合への1.4兆円に上る公的資金の補填(ほかにもあるが)・・・あまりに構図が似ていると思う。

 

国民を助けるのではなく、諸悪の根源である企業や朝鮮総連の救済を画策し、被害者に「日本という国はなかった」と言わせるような政治家と官僚が支配する日本は、国家とは呼べない。

 

水俣の患者、杉本栄子さんは、「私たちは許すことにした。日本という国も、チッソも、差別した人も許す。許さないと、苦しくてたまらない。みんなの代わりに私たちが病んでいる。許す。でも生きたい」と言って亡くなったという。

 

北朝鮮で救出を待つ人たちに、杉本さんと同じことを言わせてはいけない。

 

石牟礼道子さんは、「きょうも無事に生きた。あしたも、きょうくらいに生きられればいいと思う人たち、特別出世したいと考えもしない人が、この世にはたくさんいる。普通に生きている人たちの行く末、普通に生きることは大事なこと」と語る。

 

(「普通に生きる」ことが難しい)「国のかたち」は早く葬りさらねばならない、と高世さんも綴っておられる。まったくそのとおりである。

 

 

 

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