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2016年8月22日 (月)

(234)Hくんとの別れ

今年のお盆は思いもよらない日々となった。

例年は帰省して墓参をするが、今年は秋のイベントの作業など、いろいろとしたいことがあり、お盆には行けない、秋には母の法事があると思うのでそのときにと、実家を守る甥に知らせていた。

 

ところがお盆の14日に、交通事故に遭った義姉(甥の母)、癌闘病中だった高校時代の同期生Hくんが亡くなったと相次いで訃報が来た。死亡時刻がわずか90分しか違わない。お盆の墓参をしないという私の短慮を、天から咎められたように感じた。

結局、実家に3泊して義姉を見送ったあと、Hくんの通夜、葬儀のため1泊で横浜に向かった。

 

高校時代、Hくんとつきあいはなかった。彼は放送部(のちにアマ無線を趣味とした)、私は合唱部。その後の道も、彼は理系、私は文系と異なり、普通ならお互い、顔を知るだけの同期生、程度で終わったと思われる。

 

が、共通の友人の橋渡しがあって、数年前から急速に親しくなった。思想信条が近いことがわかり、大阪での拉致被害者救出の集会に彼が病をおして来てくれたり、私が東京での国民集会に出かけたときには彼が同行してくれた。他の同期の仲間と一緒に靖国参拝もした。会うたびに日本の将来を憂える友となった。

 

彼から紹介された書物はとても有益だった。なかでも生物学者本川達雄の「ゾウの時間 ネズミの時間」や、「『長生き』が地球を滅ぼす」などは、文系の私には目からウロコだったし、文系の書物でも、彼のほうがはるかに博学だった。現代史や政治、原子力関係の書や、それに関連する彼のコメントを長文のメールで何度も送ってくれた。

 

早くから、死生観に傾斜していたようで、山田風太郎の「人間臨終図巻(全3巻)」や仏教書も何冊か紹介してくれた。先月、死の床にありながら、仏教を知るにはとてもよい本だと書いてきた、彼自身もおそらく最後に読んだ本「ブッダが説いたこと」は、彼の思い出とともにこれから何度も読み返したい書である。

 

彼は15年前にすでに胃を摘出しており、数年前ふたたび癌を発症。何事も自分が納得するまで調べ上げる研究者の彼は、癌治療についても独学で資料を漁り最善の治療を求め続けた。元気になれば1冊の本を彼自身が著わせるほどに知識を蓄えていた。無知な患者に対し、平然と「標準治療」なるものを施す医師を痛烈に批判していた。多数派の保守的な医師にとって、彼はやっかいな患者であったことは想像に難くない。

 

眼の病気も、何度も手術を受けるという深刻なものだったようだが、最期まで眼を酷使していた。学ばない人生など彼には無意味なことだったのだ。71年の生涯を、これほど充実して生き抜いた人は少ないのではないか。いまどき一般には71年は短いといわれるが、“地球を滅ぼさない”ためには、むしろやや長すぎるくらいの時間ともいえる。

 

彼を失い、当分喪失感を味わい続けることになるが、残された人生を私がどう生きるか、きっと彼は天から見ていると思いながら、いずれ再会したときに恥ずかしくないように生きたいと思う。

 

神式の葬儀で「命(ミコト)」となったHくんよ。ありがとう。どうか安らかに。合掌。

 

 

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