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2016年6月 2日 (木)

(223)オバマ大統領の広島所感

伊勢志摩サミットは無事終了した。

議長の安倍首相が、やや強引に、世界経済は大きいリスクを抱えていると、

他の首脳に認識させて、消費税の2%引き上げ再延期の口実にしたのには、

開いた口が塞がらなかったが、アジア唯一の参加国として、傍若無人の中国の

ふるまいに、一定の歯止めをかけることができたことは了としたい。

 

G7閉幕後、アメリカのオバマ大統領は現職大統領として初めて広島に向かった。

首相とともに原爆記念館を視察、つづいて慰霊碑に献花した。

そして内外注目の「所感」を述べた。

当初は5分程度といわれていたが、実に17分ものスピーチだった。

 

71年前、雲ひとつない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった。

閃光と炎の壁は、都市を破壊し、人類が自らを破壊するすべを手に入れたことを

実証した・・・。」

 

と、それは叙事詩のような語りで始まった。

そして、これまで人類が絶え間なく戦争を繰り返してきたこと、

そのたびに、無数の罪のない人々が犠牲になってきたことを述べた後、

先の大戦では、最も豊かで強い国と国が、偉大な都市と素晴らしい芸術を

生み出す一方で、初期の部族間の争いと同じ「支配・征服の基本的本能」に

よって戦争が起きたとし、戦争は人類の本能だと嘆息しながらも、

原爆の比類ない破壊能力を前にして、次のように語る。

 

「技術の進歩は、人間社会が同様に進歩しなければ、我々を破滅に追い込む。

原子の分裂につながる科学の革命は、道徳的な革命も求めている・・・」

 

「原爆が落ちた瞬間を想起し、子どもたちの恐怖を感じ、静かな叫びを聞く。

罪なき人たちに思いをはせる。」

 

「我々は歴史を直視し、そのような苦しみを繰り返さないために、何をしなければ

ならないかを問う共通の責任がある。」

 

「私の国のように、核を貯蔵している国々は、恐怖の論理から逃れ、

核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない。

・・・たゆまぬ努力が大惨事の可能性を小さくする・・・。」

 

そして、私は次のようなフレーズに、マイノリティー出身らしい

率直な大統領の意思を感じた。

 

「我々は学ぶことができる。我々は選択することができる。」

 

「すべての人のかけがえのない価値、すべての命が貴重であるという主張、

我々は人類という一つの家族の仲間であるという、根源的で必要な考え。

我々はこれら全てを伝えなければならない。」

 

「各国の選択が、あるいは指導者たちの選択が、(戦争はこりごりだという)簡単な分別を

反映すれば、広島の経験は生かされる。」

 

「広島と長崎は。核戦争の夜明けとしてではなく、道徳的な目覚めの始まりとして

知られるだろう。」

 

しかし、あと8か月で大統領の任期を終える今ではなく、2009年、プラハでの

核廃絶を目指すという演説の後、すぐさま広島に駆けつけて、この「所感」が

述べられていたならば、世界を大きく変えることができただろうに。

 

大統領の後任が、もし「日本も核兵器を持てばいい」というトランプ氏となれば、

今回の歴史的スピーチも、涙ぐむ被爆者を抱き寄せた慈悲深き大統領の姿も、

あっという間に人々の脳裏から消えてなくなってしまうことだろう・・・。

 

 

 

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