« 私を離さないで | トップページ | (215)新年度、活動開始! »

2016年3月31日 (木)

西教寺参詣

49年前の今日、筆者は入社式前日を迎え東京にいた。そして翌41日、入社式を終えて研修所に入り、くつろいでいたところに電話がかかってきた。兄からだった。長姉の夫である義兄が急死したというのである。42歳という若さであった。飛んででも帰りたかったが、新入社員研修を優先せざるを得ず、4月半ばの休日にようやく帰省して冥福を祈ったことであった。

 

義兄は請われて奥深い田舎の寺の住職となった。優しい人で、とても可愛がってくれた記憶しかない。電車、バスと乗り継いで、お寺を訪ねることは娯楽の少ない当時にあって、楽しみなことであった。春の村には「天神さん」という行事があり、49畳の本堂は格好の遊び場であったし、晩秋には形はよくなくても甘いみかんがたくさん採れた。お寺の行事やしきたりは興味深いことばかりであった。梵鐘をついて、村に正午を告げたことも、たまに葬儀に遭遇し、義兄が卒塔婆に墨黒々と戒名を書くのも、懐かしい思い出である。

 

今日、義兄が住職を務めた寺の本山である、滋賀坂本・西教寺に参詣した。事情を話して五十回忌の回向をしたいとお願いしたら快諾してくださった。荘厳な本堂に読経が響く中、筆者は妻とともに一心に手を合わせた。38歳で寡婦となり、幼い二人の子を必死に育て上げた姉とその子を、天上から見守ってくださったことに感謝します、と。50年という歳月は、早逝した義兄の無念も癒したことだろう。

 

西教寺は、見かけはそれほど大きくはないが、全国に四百あまりの末寺を有するという総本山で、聖徳太子が高麗の恩師のために創建したという。ながらく荒れていた寺を、1486年に入寺された真盛上人が、不断念仏の道場として再興された。宗祖と呼ばれる真盛上人は伊勢国一志郡の人と聞くと、筆者の故郷の近くでもあり親近感をいだいた。

S002

 

ここ坂本は明智光秀の所領であったことから、西教寺には明智一族の墓がある。光秀の辞世句の碑があった。

 

順逆無二問/大道徹心源/五十五年夢/覚来帰一元

 

ウィキペディアによれば、吉川英治の訳は以下のようである。

 

たとえ信長は討つとも、順逆に問われるいわれはない。彼も我もひとしき武門。

武門の上に仰ぎかしこむは、ただ一方のほかあろうや。

その大道は我が心源にあること。知るものはやがて知ろう。

とはいえ五十五年の夢、醒むれば我も世俗の毀誉褒貶に洩れるものではなかった。

しかし、その毀誉褒貶をなす者もまた一元に帰せざるを得まい。

 

逆臣の汚名について、率直にこう書き残した光秀の人間観が窺われる。自分もだが、己の野望のために比叡山をはじめ多くの寺社仏閣を焼き払った信長も、ともに毀誉褒貶甚だしい。またそう評価している後世の人間もまた、毀誉褒貶に囚われて生き続けていく生き物なのだ。何が正しいか、誰もわからないまま、ただひたすら生きているのだ。誰もが夢の中に生きている、そんな思いでお寺を後にした。

 

筆者自身も今日の参詣で、義兄への感謝と、今日まで頑張りぬいた我が姉への尊敬の念をあらたにし、荷物をひとつ下ろせたような気がしている。    合掌

 

 

 

« 私を離さないで | トップページ | (215)新年度、活動開始! »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1594571/64742828

この記事へのトラックバック一覧です: 西教寺参詣:

« 私を離さないで | トップページ | (215)新年度、活動開始! »