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2016年1月17日 (日)

ロータリークラブで拉致を語る

大阪北部にある某ロータリークラブから卓話講師に招かれた。ロータリークラブには現役の頃、千葉習志野、神戸で在籍したことがあるが、20年以上のときを経て、久しぶりの例会出席はとても懐かしかった。ロータリーソングを歌い、「真実かどうか」「みんなに公平か」「好意と友情を深めるか」「みんなのためになるかどうか」という四つのテストを唱和するなど・・・。

 

卓話では、これまで一民間人として拉致問題に取り組んできて、今なにを思うかといった話をしたのだが、話しながら翻然と悟ったというか、ふたつの確信が心のなかにわき上がった。

 

ひとつは、何人の日本人が拉致されているか、である。(こんな基本的で一番大事なことを知っている人も組織も、この日本には存在しないということにそもそもの問題があるが)この問題に関わり活動している人の最大公約数見解は「少なくとも100人以上」といういい方である。

 

「いや、500人は下らない」という直感がわいた。日本人は万事控えめな性格で、根拠がはっきりしないことについては更に控えめに考える。(これが中国や韓国となれば、平気で1ケタ大きい数字をいうだろう。)なにしろ優秀な日本の警察が、拉致の疑いを排除できない行方不明者が900人近くいると公式に発表しているのだから、500人は下るわけがない。

 

ふたつめに、なぜ北朝鮮は5人を返しただけで済ませようとするのかという話しているとき、あまりに拉致してきた人数が多いので、10人、20人返したところで日本は決して納得しないと、北朝鮮の指導者も「解決」をあきらめている、ということである。

 

よって、今やっているような政府間の交渉では拉致問題は解決しない。金正恩が暗殺されたりして国家体制の劇的変化がない限り・・・。北朝鮮にはレアメタルなど地下資源が豊富というから、日本の経済制裁など少しも効かない。安倍首相の「対話と圧力」など通用しないし、「拉致問題が解決しないなら、北朝鮮の未来は描けないことを思い知るべきだ」という発言も単なる強がりに過ぎず、北朝鮮からみれば、大きなお世話だ、ということになる。

 

去年あたりから考え、少しづつ具体化をはじめたことだが、心ある日本人なら、拉致被害者の尊い犠牲を無駄にしないために何をするかを考えるべきだ。このままズルズルと時間がたち、忘れ去られていくことが一番の問題だ。

 

卓話の準備をするなかで、拉致被害者を生んだ背景、昭和30年ごろ金正日が拉致を認めた平成14年までの日本の状況を整理してみて、命知らずの工作員を日本に送り込んできた北朝鮮と、話せばわかる、カネさえあれば解決すると信じてきた日本との、意識の彼我の差をあらためて思った。国内にいる北朝鮮の勢力はもとより、それを庇護する日本の政治家、官僚、学者、文化人などの存在の大きさである。この状況を認識し改善していかない限り、拉致被害者は救われないし、日本の未来も危ういのである。

 

朝鮮総連は堂々と存続しているし、国内の拉致実行犯を捕まえることもしない。拉致被害者の政府認定も遅々として進まない。要は本気で取り組んでいないのだ。安倍氏も北朝鮮を庇護する一派だとは思いたくないが・・・。

 

ロータリークラブの四つのテストは、残念ながら北朝鮮相手には通じない。

 

 

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