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2015年10月19日 (月)

生駒のロマン

このところ年寄りにしては多忙な日々が続いている。本を読んだり、クラシック音楽を聴いたりする時間はほとんどなくなったが、責任あるボランティアとしては、あれこれ無い知恵を絞り、それを実現していくために相応の時間がやはり必要なのだ。

 

忙中閑あり、ではない(昨日も本来なら、仲間と難波で街頭署名活動をしなければならないのだが)が、昨日は、住まいする地域の人たちと、生駒再発見のハイキングに行った。

わずか数kmの内に興味津々の神話の舞台があることを知り、30年も住まいしながら、ああ、知らないことが多すぎる、と痛感させられた。

 

ボランティアガイドさんの説明では、神武天皇東征の舞台が生駒であると、こう説明された。

 

「天孫降臨から三代続いた日向国を捨てて、後の神武天皇は大和国に向かって瀬戸内を東進、3年半かけて生駒山の西麓、草香邑(クサカムラ)に到着。直越えして大和入りを目指したが、孔舎衙坂(クサカザカ)で、大和の先住者長髄彦(ナガスネヒコ)軍と遭遇し敗退、その後熊野に回った神武軍は、大和を南部から北へと進軍、緒戦で敗れた長髄彦軍と、鵄邑(トビムラ)で決戦に臨む。その時金鵄(キンシ)が現れ戦況は一変、長髄彦軍は敗れ、大和平定が成る。神武天皇即位の3年前の12月にことと日本書紀は記す。」

S027

 

孔舎衙(クサカ)という地名は今も生駒山の西側、東大阪市に現存するが、二度目に神武が戦った鵄邑(トビムラ)を示す「鵄山」の碑が、生駒の富雄川の東岸に立っているではないか。したがって富雄川を挟んで両軍は戦ったのである。

 

また、高天原の天神の孫として、瓊々杵尊(ニニギノミコト)に先駆けて、天磐船(アメノイワフネ)に乗って大和国に飛び降りた、饒速日命(ニギハヤヒノミコト)の墓標も矢田丘陵の山中に現存するし、かつて日本軍人の功績を讃えた「金鵄勲章」の由来となった金鵄が舞い降りたのも、この生駒の地であったとは・・・いやはや汗顔の至りである。

S028

 

無知を公開してしまったからには、郷土史の勉強を一から始めねばなるまい。さて時間はどれほど残されているのやら。

 

 

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