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2015年9月11日 (金)

日の名残り

イギリス旅行中に、ガイドさんが教えてくれたカズオ・イシグロの「日の名残り」。この夏、本を読み、映画も観た。どちらも良かった。この夏の数少ない収穫だった。筆者も先日また誕生日を迎え、間違いなく「日の名残り」のなかで生きているのだが、自分と比べながら、イギリスの誇り高い執事、スティーブンスの思いを反芻している。

 

執事とは、日本では寺社などの事務を取り仕切るものをいうが、本来はやはりイギリスの名門貴族の館で、たくさんの使用人を取りまとめ、家事や事務、訪問客の接待など、家内外の実務を取り仕切って、主人に全面的に仕える職名である。映画におけるアンソニー・ホプキンス演じる謹厳実直な風貌、佇まいが象徴的である。主人を立てて出過ぎず、かといって必要に応じて主人の片腕ともなり、口さがない訪問客たちにも、主人の評判を落とさないように応える器量も必要。片時も油断ができない緊張感のなかで生きている。

 

スティーブンスが長年、誇りを持って仕えたダーリントン卿が亡くなり、ダーリントンホールは新しいアメリカ人の富豪の手にわたる。引き続き執事を続けることになったスティーブンスは手薄になった使用人を補充しなければならない。そこにかつてダーリントンホールで一緒に働いたミス・ケントンから手紙が来る。ミス・ケントンは、今はベン夫人となっているが、夫とはうまくいっていないらしく別居しているという。

 

ベン夫人に会ってもう一度一緒に働こうと伝えるために、新しい主人の了解をもらってひとり短い旅に出る。滅多に旅などしたことのないスティーブンス。この旅の道すがら、かつてのダーリントンホールで、ダーリントン卿や、ミス・ケントンと過ごした日々が語られる。優秀な部下であった彼女に対し絶大の信頼を置きながらも、品格ある「偉大な執事」としてふるまうがゆえに、彼女の好意やアドバイスを再々拒んだあの頃が苦く思い出される。執事ももちろん人間であったのだ。

 

きっと受け入れてくれるはずと思い込んでいたスティーブンスに、こんどは彼女が拒否をする。老境に入ってからのこの結果は辛いものであるはず。しかし彼はこう考える。

「私どものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで十分であるような気がします。そのような試みに人生の多くを犠牲にする覚悟があり、その覚悟を実践したとすれば、結果はどうであれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足を覚える十分な理由となりましょう。」

 

そして現在仕えるジョーク好きなアメリカ人富豪の執事として生き抜く決意を語る。「明日ダーリントンホールに帰りつきましたら、私は決意を新たにしてジョークの練習に取り組んでみることにいたしましょう。」と。

 

カズオ・イシグロが、先日テレビに登場したとき、この「日の名残り」について、「実は私たちも執事なのだ。」と語っていた。ひとりひとりが自分の仕事をするだけであり、自分の仕事が自分より上のレベルで果たして役立っているのかもわからない。人間と政治権力への隠喩を含んでいる、とも語っていた。

 

俗なことばでいうと、この日本生まれのイギリス人作家にハマっている。

 

 

 

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コメント

「日の名残り」ですね。
アンソニー・ホプキンス、大好きな俳優さんの一人なので、見てみたいです。執事役もハマっているのでしょうね。
執事といえば、アニメ「黒執事」を連想してしまうミーハーな私です…。
でも、「実はわたしたちも執事なのだ。」という言葉の意味を深く考えたいです。

やそっちさん。さっそくコメントありがとうございます。今日はお疲れさまでした。

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