2018年5月19日 (土)

(308)拉致議連を作る

大阪ブルーリボンの会では一昨年、拉致問題をテーマにした中高生対象の作文コンクールを政府に提案した。若い人たちに拉致問題を知ってもらうためである。政府拉致問題対策本部はすぐさま大臣の承認を取り予算をつけた。内閣府拉致問題対策本部が主催、文部科学省、法務省が後援して、昨年、第1回の「北朝鮮人権侵害問題啓発週間 作文コンクール」が実施された。その結果、中学校55校・作品数1,167点、高校39校・748点、計94校・1,915点の作文が寄せられたという。

 

ちなみに全国には、中学校10,325校、高校4,907校、計15,232校があり、また昭和56年から実施されている法務省主催の「全国中学生人権作文コンテスト」においては、昨年7,358校、960,390名が参加している。これらの数字に比べれば、拉致問題作文コンクールは初めてとはいえ本当に微々たる規模に過ぎない。これはこれで課題は大きい。

 

しかし、驚いたことに、大阪府において昨年、この作文コンクールに応募した学校は、何と中学校が1校だけであったというのである。拉致問題対策本部に何かの間違いではないかとしつこく訊いたが、その1校の名前も教えてくれたので認めざるを得なかった。

 

その後、情報を収集すると、教育委員会が政府からの通達を右から左に流すだけで、特に参加の奨励をしたり、結果を点検するわけでもない。学校現場の自主性に任せているといえば聞こえはいいが、要は何もしていないことが分かった。現場はやることがたくさんあり、おのずと優先順位を決めていかざるを得ず、拉致問題が上位に上がってくることはないという。作文を書かせるためには、授業でアニメ「めぐみ」などを視聴させ、生徒に考えさせる時間が必要となるがとてもその余裕はないという。

 

この事実に直面し、行政を動かしていくには、地域のリーダーである地方議員が正面から拉致問題と向き合い、啓発活動の必要性を理解することが欠かせないと考えた。年初から主要議会に要望書を出し、心ある議員に集まってもらって準備会合を2回開催し、ようやく大阪府下44自治体のすべての議員1002名に対して、超党派の拉致議連の設立と参加を求める段階にきた。全国に拉致議連はあっても、これだけの規模の議連はそうないはずで最後までしっかり準備していきたい。

 

612日には初めての米朝会談が予定されるに至り、拉致被害者救出への微かな期待が感じられるが、仮に前向きに進んだとしても北朝鮮は相当なカネを要求してくるだろうし、困難なことに変わりはない。被害者救出は政府の仕事だが、なぜ拉致被害者を生んでしまったか、なぜ取り戻せないのか、いまのままで日本は「独立国」といえるのか、日本の根本問題を考えるのは私たち国民の責務である。

 

そうでなければ、被害者とご家族の長年の苦難に応えられないし、未来を背負う若者に対して、いまのままこの国を引き継げないことを自覚していかねばならない。

 

 

 

2018年5月10日 (木)

(307)中之島まつり報告など。

今年も「中之島まつり」に、「拉致被害者を救出しよう」というブースを出しました。署名を呼びかけると例年になく反応される方が多いと感じられました。

集計の結果、3日間で署名が2,650筆、カンパが517,573円、カンパいただいた方にお渡ししたブルーリボンバッジ703個と、ここ3年間で最高の数字でした。ご協力いただいた方々に心から御礼を申し上げます。

 

最近の南北会談、予定されている米朝会談など、国際政治の動きから、多くの皆さんが日本人拉致被害者救出の最後のチャンスと考えておられることをひしひしと感じました。

日本政府は今こそ国民の願いに答えるべきときです。救出の司令塔を自ら任じている安倍首相は、政治生命をかけてすべての拉致被害者を救出してください。みんながその「結果」を待っています。

(以上、大阪ブルーリボンの会ホームページに掲載予定)

 

3日の朝に雨が上がって、3日間お天気にも恵まれたが、ここ3年の数字の推移をみると、かなりの成果である。

 

署名が、一昨年2040、昨年2130、今年2650

カンパが、一昨年348,744円、昨年366,800円、今年517,573

バッジが、一昨年464個、昨年439個、今年703

 

毎月やっているターミナル駅前等での活動では、署名を避けて通る男性が多くて失望することがあるが、今回のブースには中年男性が結構立ち寄ってくれた。彼らは決して拉致問題を避けたり、冷めてみているのではないのだ。見直した。男性が反応したことでカンパが大幅に増えたとも考えられる。

 

ただ、筆者は今の安倍さんの考え方や態度には期待を持てない。彼の認識は、日本が中心になって北朝鮮への制裁強化をやってきたから北が対話に入ってきたというものだ。これには北はすでに強く反発している。

自分の手柄話にうつつを抜かすのではなく、本気で日本自体が本当の制裁強化をすべきなのだ。粛々と、国内にいる拉致実行犯、協力者(当然朝鮮総連の人間が含まれる)を捕まえること。それをしないで、私が拉致被害者を取り返す、といくら言っても結果はついてこないだろう。

もちろんこの見立てが外れて、まもなくチャーター機で数百人の同胞が帰ってきてほしいのだが・・・。

 

 

 

2018年4月25日 (水)

(306)(続)ああ日本よ。

この10日ほどで借金時計は6000億円あまり増えている!

 

この間、国会では、財務省事務方トップの事務次官が女性記者にセクハラ言動を録音されて辞職に追い込まれた。あきれるような事態である。麻生副総理・財務大臣のクビを取ってついでに安倍総理のクビも取りたい野党が相も変わらず審議拒否を続けて国会は空転している。安倍内閣の支持率はジリジリ下がって、30%前後まで落ちてきた。しかし、だからといって野党の支持率も上がらず、「支持政党なし」が増えるという構図である。

 

昨年3つに解体されたはずの民進党が、まもなくその2つ(希望と民進)が合流し、「国民民主党」を作るそうである。名前を聞いても何をしたいのかサッパリわからない政党がまたできる。

 

昨夜のプライムニュース(BSフジ)。3人の政治学者による「混迷政治の構図と本質」はおもしろかった。なぜ官邸の意向を忖度する役人が増えたか、なぜ誰も責任を取らない政治が行われているのか、政党の存在が薄くなってしまったのはなぜか・・・。どれも「安倍一強」体制、中身としては、安倍内閣以前は100人程度だった内閣府に、今や1000人以上の官僚が集められ、どの省より強大になっている。こうした「改革」がもたらした結果だという。

 

同じ長期政権でも佐藤栄作首相(在任1964年~72年)はライバルと目される人材も、見どころがあると積極的に登用していたとの指摘があった。それがどれほどの質量だったのかわからないが、安倍氏もかつて石破氏を登用していたし、今も野田聖子氏を総務大臣にしている。人事はうまいほうだと思うが、所詮彼らはみな世襲議員で、人材を育てる能力に欠けている。一念発起して政治家になった議員は、時間があれば地元周りをせよと言われて勉強もしないし、かといって度胸もない。党の公認をもらわなければ議員になれないから、みなサラリーマン的になっている。

 

その「安倍一強体制」は飽きられた。行き詰っている。今回の日米首脳会談のインパクトはなかった。得意の外交カードももはやない。自民党内での議論も不足。ろくに議事録もとっていない組織がたくさんあるという。現状は起こるべくして起こった問題なのである。3人の学者ともそういう見立てであった。やはりお先真っ暗なのか、日本は。

 

日本の起死回生を図るなら、安倍訪朝で拉致被害者帰国!(人数としては最低50人。)それしかないはず。

 

 

2018年4月16日 (月)

(305)ああ日本よ。安倍さんよ。

日本のGDPはアメリカ、中国についで第3位なのでついついまだ世界に冠たる大国だと錯覚してしまうが、一人当たりGDPは2016年で世界第22位。先進国G7のなかでは、アメリカ、カナダ、ドイツ、イギリスに次ぐ5位、下にはフランス、イタリアのみ。その額、アメリカは一人当たり57,608米ドル、日本は38,883米ドルで、アメリカの約3分の2。(今はもっと世界順位は下がっているだろう)ああ、いつの間に。

 

あるメルマガに、北海道で高卒2年目の若者が、両手を火傷だらけにして竹輪の竜田揚げを作っている話が書いてあった。就職時には手取り月額16万円と聞かされたが、実際は11万円しかもらえず、時間外手当てもいっさいなしで働かされているという。GDPランキングだけで一喜一憂する必要はないと思うが、こんな話を聞くと日本は想像以上の格差社会であり、貧困は加速度的に進んでいると思わざるをえない。

 

折から人口推計が発表された。331日現在、12652万人。年代別では65歳以上人口だけが増えていて3515万人、全体の28%を占め、15歳未満人口はわずか1559万人、同じく12%に過ぎない。高齢者は増え続け、過度な社会保障費の恩恵に預かる一方で、財部誠一氏のホームページにアップされている「借金時計」は刻刻増え続け、まもなく1088兆円を突破する。若者の将来は残念ながらいっそう悲劇的である。

 

5年前から拉致被害者を取り返すと言って実現できていない安倍首相は、経済でも期待した成果を出せていない。二度も消費税増税を延期したうえ、黒田日銀総裁を再任し、インフレ率2%を至上命題に、国債を日銀に買い取らせてカネを撒き散らしている。こんな経済運営で将来が大丈夫なわけはない。同じ「働き方改革」でも、「首相も含めた政治家と官僚の働き方改革」が必要だと筆者には思える。

 

首相の不徳とお粗末な茶坊主官僚のせいで起きた「森友学園」「加計学園」問題で国会は空転を続けている。国民の側にも「安倍一強」を安易に受け入れたツケが回ってきたようである。日本人自身、低劣政治家と官僚にNOを突きつけるとともに、自身も「利他の精神」と「自助努力」を行なわないと子孫がたいへんな目に遭う。

 

拙ブログを1時間かかって書いているうちに、国の借金が30億円増えていた!

 

 

 

2018年4月 7日 (土)

(304)大谷翔平!

球春がスタートした。今年は大リーグのエンゼルスに渡った“二刀流”大谷翔平から目が離せない。今日は予定のない土曜日で、午前中、エンゼルス対アスレチックス戦を観ていた。何と3試合連続のホームランを打った。投手としてすでに1勝を挙げ、続く1週間で打者として4割を超える打率。ベーブルース以来、100年ぶりの活躍とくれば、日米で人気を独り占めとなるのも無理はない。

 

イチローの輝かしい活躍も色あせそうな大谷のスケールの大きさが果たしてメジャーで持続するのか、先のことはわからないが、夢を売るのがプロ野球の商売である以上、この華々しいスタートだけでもまずは満足である。

 

ただし、高校から即メジャーの道を希望していた大谷がそのままメジャーに行って二刀流でデビューできたか。ドラフト会議で他球団が回避する中、一位指名を敢行し、プロにおける二刀流とはどういうことか、共に考え、実践しよう、君ならできると大谷を説得し、立派な二刀流に育て上げて約束通りアメリカに行かせた日本ハム栗山監督の英断と育成あればこそとも思う。何より本人の能力が一番ではあるが、まわりで育てる人にも恵まれなければならない。大谷の成長に栗山監督と日本ハムの存在が必須だったし、その点でも彼は強運を持っている。

 

もうひとつ、プロ野球といえばカネ。有名老舗球団はカネにあかせて他球団から選手を引き抜き、結果使い捨てる例は掃いて捨てるほどある。普通プロの選手が辿る道は契約金、年俸の多寡で決まるものだが、大谷のエンゼルスとの契約金が、年齢制限で26千万円という低さであったことにみな驚いた。もう2年遅らせてメジャー契約ができれば巨額の契約金もありえただろうにと。(12年前、レッドソックスは松坂大輔との交渉権獲得に60億円、6年契約の年俸に60億円を支払っている。)夢のためにはカネはむしろ有害だと言わんばかりの爽やかな決断。

 

とにかく100年に一度の二刀流、大谷翔平。今年は彼の活躍ぶりを存分に楽しませてもらおう。

 

 

2018年3月31日 (土)

(303)3月のサマリー

このところの気象状況は激しすぎる。月初めは本当に春が来るかと心配になるほど寒かったが、雨続きのお彼岸を境目に、一気に気温が上がって、例年より10日も早く桜が咲き出した。3月は年金生活者にしては公私ともなかなか多忙な毎日でブログの更新もままならなかった。

 

まず、33日のびわ湖ホールのワーグナー「ワルキューレ」公演。

いまやびわ湖ホールの「ニーベルングの指輪」を、「びわ湖リング」と呼ぶのだそうだ。昨年の「ラインの黄金」に続く第2弾「ワルキューレ」公演は、休憩2回を挟み、2時から7時までの5時間。一番前、オーケストラピットのすぐ傍で鑑賞。冒頭、ジークムントが彷徨う風雪の荒野をプロジェクションマッピングでリアルに表現して物語に惹き込んでいく演出。豊かな声量の外国人主役のなかで、ジークリンデの森谷真理が大健闘で喝采を浴びた。沼尻竜典の真摯な、エネルギー全開の指揮に応える京響と歌手たち。ワーグナーの世界を堪能した。

 

翌4日、父の27回忌の法要。父が亡くなってからもう丸26年が経ったのか・・・。その26年は、筆者にとって人生を根本的に見直さざるを得ない時間となったのだが、「何とか元気で頑張っているよ!」と霊前で手を合わせた。

 

今月は何より、大阪に拉致問題に取り組む地方議員の会(地方拉致議連)を作る準備作業が佳境を迎えた。自分で言いだしたことだ。自分でやるしかない。しかし、動かぬ人間を動かすということが、どれだけ手間ひまのかかることか。しかもプライドの高い人たちが相手なのだから。すべての事務はこちらで引き受けると宣言するしかなかったのであるが。

 

なぜ議連結成にこだわるのか。このまま拉致事件が風化していくことに耐えられない。いまの日本の政治家、官僚のトランプ頼みでは拉致被害者を取り返すことはできまい。北が核を放棄することはありえないし、日本の拉致被害者を返すこともない。横田さん、有本さんご夫妻が亡くなってしまえば、みんな忘れてしまうだろう。

議連を作れば、我々民間の団体の言うことを、自治体の教育委員会も無視できないだろう。教育委員会から学校に、子どもたちにアニメ「めぐみ」を見せ、感想文を書かせるよう督励する、少しでも若い世代に拉致を考えてもらうことがわずかでも風化を喰いとめることになる。そのことを大阪中でやらせるためなのだ。

(今夕、何とか第1回の準備会合開催に漕ぎつけた。核となる14人の議員が集まってくれた!)

 

お彼岸に義兄が亡くなった。83歳。筆者のすぐ上の姉と二人で築いた家族は、子供2人、孫6人に囲まれた素晴らしいもので、故人も納得の人生であったと思う。棺に感謝を込めて合掌した。

 

 

2018年3月25日 (日)

(302)おらおらでひとりいぐも

最近の芥川賞は何を書いているのか、何が評価されているのかよくわからないので、又吉直樹氏の「花火」以降は、何も読んでいなかったが、西部邁氏の自裁死の記事を読みたくて買った「文藝春秋」で、図らずも凄い作品に出合った。若竹千佐子さんの「おらおらでひとりいぐも」である。

 

東北弁で呟きながら逞しく生きている74歳のおばあさん、桃子さん。「おらおらでひとりいぐも」は、宮澤賢治の詩「永訣の朝」のなかで、「私はひとりで死んでいく」とつぶやいた妹トシ子の言葉。桃子さんはこれを「自分はひとりで生きていく」というポジティブな意味で小説のタイトルとしたようだ。

 

桃子さんは自立心旺盛な女性で、東京オリンピックのとき、ひとり故郷を出奔、上京した。自分を「おら」と話す美男子で純粋な旦那さんともアルバイト先の食堂で偶然知り合った。

一生懸命に子どもも育てたつもりだが、いつしか二人の息子、娘ともどうしようもなく心の距離が出来てしまった。

 

大好きな旦那、周造さんは15年前、57歳のとき、突然心筋梗塞で亡くなってしまった。もっとしてあげることがなかったか、今でもあの時を思うと平静ではいられない。人生のなかの、あれこれを思い出しながらも、しかし、桃子さんは、最終的には肯定的に語ってくれるので、ふん、ふん、なるほどと頷きながら楽しく読める。筆者は桃子さんと同年代。失敗もたくさんしたので後悔も多いが、桃子さんの発想は刺激的で大いに教えられるものがある。

 

人の心は一筋縄ではいがねのす。人の心には何層にもわたる層がある。生まれたてでのあがんぼの目で見えている原基おらの層と、後から生きんがために採用したあれこれのおらの層、おしえもらったどいうか、教え込まされたどいうか、こうせねばなんね、ああでねばわがねという常識だのなんだのかんだの、自分で選んだと見せかけて選ばされてしまった世知だのが付与堆積して、分厚く重なった層があるわけで、つまりは地球にあるプレートどいうものはおらの心にもあるのでがすな。

 

と、こういう率直な東北弁の語りに惹き込まれる。また、地球や人類の歴史にも興味津々なので、語るテーマの幅も広く痛快である。若竹さんの濃厚な人生がうかがえる。

 

最後の方の、ばっちゃとの会話。

 

あのな、ばっちゃ。おら、死に焦がれているのだべが。いついつとも知らないものを待ちくたびれて、この頃はばっちゃ早く来てど、そう思うどぎもあるんだ。ううん、違う。おらはまだ・・・

 

桃子さんは本音を語り、悲しいとわっと泣く。弱気も見せながら前を向く。そんなところに男の弱点を痛切に感じた。西部氏の「自裁死」なるものを考えたあとなので、余計である。女性は逞しい。

 

 

2018年3月12日 (月)

(301)自裁死

この冬はずいぶん寒くて一時は春が来るのかしらと心配したが、月が替わるとともに陽射しが徐々に明るくなり当然とは言え杞憂であった。毎年同じことを書いているが、凛とした早春のこの時期は好ましく、寒さのうちにも心が華やぐ。

 

ブログの更新を怠っていたが、書きたいことはいくつかあった。なかでも西部邁氏の「自裁死」には、衝撃を受けた。晩年は「朝まで生テレビ」という番組に出演されていたらしいが、自意識過剰な連中の夜中のグダグダ話だと思って興味も持たなかった。氏の著書も読んだことはなく、このたび遺書ともいえる「保守の真髄」(講談社刊)に初めて目を通しただけである。よって、その思想、言動は無知だが、本人は「僕は右翼でもなく、左翼でもない。飛行機の尾翼」と言っていたと、浜崎洋介氏が文藝春秋で紹介していた。元気な氏をもっとテレビで見ておくべきだった。

 

理性的に、自分の人生に終止符を打つという行為、「自裁死」と呼ぶにふさわしい氏の死はいかにして実行されたか。1月21日未明のことである。

 

以前から「自然死というけれども、その多くは病院死なのが現実。それが嫌だと自殺しかない。俺の最後の願望は“当然死”だね。・・・警察に若干の厄介をかけたようだが、どう考えてもあいつは当然死んだ、という」死に方について語っていたという。

 

最期の夜、愛娘と一緒に新宿のいきつけの店で、普段は飲まないウォッカを45杯呑み、「人に会うから先に帰りなさい」と娘に言って別れ、(おそらくそのまま)多摩川に向かい、入水。「警察の厄介」を減じるために(すぐに見つかるように)ロープで身体と岸とつないであったという。

 

2014年、8年間介護した最愛の奥さん(同郷、同年齢の人生の同志)に先立たれ、自分の人生は実質的に終わったと感じていた。加えて自身は末梢神経痛で、もはや自力での執筆ができなくなっていた。子供に世話をかけることも潔しとせず、「自裁」できる余力のあるうちに、と考えた結果だという。享年78歳。山田風太郎に生き返ってもらって「人間臨終図巻」にぜひ載せてほしい死に方だ。

 

「保守の真髄」は娘さんに口述筆記してもらったそうで、文章としては読みやすい。しかし、一読したくらいでは到底理解できない。これから何度か読みたいと思う。なるほどと思った箇所を書き留めてこのユーモアもある人なつこい碩学の死を悼みたい。

 

「近代化とその絶頂ともいうべきグローバリズムとの波に洗われているうち、日本人はおのれの正体を見失ってしまったとの感が深い。」

 

「そのグローバライゼーションが暗礁に乗り上げるとなれば、いまふたたび日本人の本性が問われるときがやってきたのである。」

 

「日本で『民主主義の盲信』と『議論の絶滅』とが、なぜ生じたのか。」

「個人としての日本人の人格もまた溶解しつつあるといってよいのではないか。現代の日本人はオキュペーション(職業)に、心身をオキュパイ(占拠)されて、単なる職業人化しつつある。」等々。 合掌

 

 

 

2018年2月22日 (木)

(300)小平奈緒さん、李さんの友情

2011年(平成23年)1125日から綴り始めた拙ブログが300回。その年、実兄が亡くなって自分自身の人生も終盤に入ったことを強く意識し、「ひとりの時間」を大事にしようとの思いから始めたものだった。日記を書けばよいのだが、生来の怠け癖。昔から日記は「三日坊主」で続いた試しがない。一人でも読んでくれる方がいてくれれば(否、いてくれなくてもそう意識していれば)続くのではないかと始めたのだった。そして約6年余、毎月基本4回で300回。気ままな駄文におつきあいくださった方々には感謝しかありませぬ。

 

300回に相応しい内容をと、無い頭で考えては定まらず日が経つうち、素晴らしい感動の場面に出会えた。平昌オリンピック・スピードスケート500m。小平奈緒選手が見事に金メダルをとってくれた。前回ソチオリンピックで結果が出せなかったことから単身オランダに留学し、日本古来の武術からも学んで心技体を磨き上げ、このところ2シーズン負けなしの結果を出してきての、女子スピード史上初めてのオリンピックの金メダル。もちろんそれだけで充分感動的なのだが、さらにレース後に意外な光景が待っていた。

 

バンクーバー、ソチと二連覇し、今回自国開催のオリンピックで当然三連覇が期待された韓国の李相花選手。このライバルを破った小平選手が、レース後、涙ぐむ李選手に歩み寄り、抱きしめ、何度も言葉を交わし、そしてまるで同国選手のように、二人で肩を組んで場内の歓声に応えた。観客もまた二人に感動の拍手を送り続けた。筆者は二人のことについては何も知らなかったので、ただただビックリの光景に胸を熱くした。

 

聞けば二人のつきあいはジュニア時代からで、ここ10年はいっそう親密になり、小平選手は李選手の自宅も訪問したことがあるという。リンク上でそれぞれが母国の期待を背負って戦いながら、互いの友情を育めるということは稀有なことだし、互いが尊敬できる人間同士である証左であろう。前回のブログで、このオリンピックを政治利用する北朝鮮、韓国、日本の指導者たちを批判したが、二人の友情が政治的にギクシャクする日韓の間で芽生え、強くなったことに感慨を覚える。

 

加えて、若いころ職場をともにした先輩が、このオリンピックが始まったころ、長文の手紙をくださった。ここ30年近く、年賀状を交わすだけのおつきあいしかしていなかったので、分厚い封書を受け取ったときには何事かと驚いた。書かれていたのは、過去に100回も韓国に行った先輩の、韓国人についての思いをまとめたもので、実に14項目にも及ぶものだった。先輩もまた長年つきあってきた韓国の友人から、「政治や経済と、人づきあいは別だ、と何回も言われてきた」という。友人とのつきあいにおいては、メディアを介して伝えられる韓国人の日本への批判がまるで「絵空事」に思えるほど、嫌な思いをしたことは一度もないとのこと。韓国人の気質や行動の特徴は把握しながらも、一面的、一方的な見方で日韓関係が毀損されないようにと願う先輩からの、拉致問題に取り組む筆者への労わりとアドバイスと受け取った。

 

小平選手と李選手の友情が、両国民の人口に膾炙していくことで、日韓の国民がお互いの関係について理解を深めていくことになれば、こんな素晴らしいことはないし、がんと闘いながら、便箋6枚の手紙を書いてくれた先輩にも心から感謝する。

 

今日は222日。ボーイスカウト、ガールスカウトの創始者、ロバート・ベーデン=パウエル卿夫妻の誕生日から制定された「世界友情の日」、である。

 

 

2018年2月12日 (月)

(299)平昌オリンピック

ピョンチャン冬季オリンピックが始まった。問題山積のなか、6年あまりかけて準備してきた韓国の関係者には敬意を表したいし、競技する選手諸君には、自身と祖国の名誉をかけて頑張ってもらいたいと思う。特に日本選手は、隣国での開催で時差の問題もなく、本来の実力が発揮できると思われるし大いに期待したいところである。

 

しかし、せっかくの平和の祭典が北朝鮮の思惑に翻弄されてスタートしたのは悲劇である。北の野望は、核とミサイル攻勢を繰り返し、アメリカに自国を「核保有国」として認めさせ、いずれは韓国からアメリカを追い出して北主導で南北朝鮮統一を実現することであるが、今回のオリンピックがその一歩とならないよう日米は余程気を引き締めてかからなければならない。

 

何となれば、韓国大統領文在寅は、北からの要求をすべてあっさりと受け入れた。開会式では南北が朝鮮半島を描いた「統一旗」のもと「仲良く」行進。聖火をかざして両国の選手がともに聖火台を駆け上った。女子アイスホッケーは両国合同チームとなった。北からは金正恩の妹、与正が、政治的には№2の金永南を従えて訪韓、南北首脳会談を行った。文在寅は連日彼らを下にも置かぬもてなしで歓待、北の芸術団の公演を仲良く並んで鑑賞した。この間も北では、核・ミサイルを作り続けているというのに。文在寅はおそらく、北の核を共有し、日米を見返してやりたいと考えているのだろう。

 

わが安倍首相は結局、文在寅との会談で慰安婦問題について日韓合意を遵守するよう直接クギを指すことを理由に開会式に出席した。G7各国、中露首脳も誰一人出席しないのに、である。案の定、首相の「通告」は馬の耳に念仏で聞き流された。首相は、北の金永南と「短く言葉を交わした」とメディアは伝えたが、映像を見ると「拉致被害者は必ず取り戻すからな!」と言ってくれたようには到底見えなかった。むしろこちらからにこやかに寄って行ったように見えた。首相の「お人好し」は外交には有害である。

 

首相自身は、最初開会式には行かない意向と報道されていたが、二階自民党幹事長がたしなめて最終的に行かせたというのが真相ではないか。この幹事長が曲者であることが今回も明白である。幹事長に首相3選の舞台回しをしてもらうことと、拉致被害者をとりかえすという自身の公約実現と、どちらが大切なのか。胸に手をあててよおく考えてもらいたい。「(首相は)安倍さんしかいない」、とおっしゃる保守派の議員、国民も同じである。

 

 

 

2018年2月 4日 (日)

(298)「精神科病院大国」ニッポン

立春の今日はとても寒い。気温が日中でも2°程度と低いうえに風が強い。家でじっとしているしかない。

 

さて、何気なく観た昨夜のNHKEテレのドキュメンタリー番組には驚いた。日本は「精神科病院大国」で、何と世界の精神科病床の2割が日本に存在し、5年以上入院している患者は7万人もいるというのである。その実態がわかったきっかけが、何と7年前の東日本大震災であり、福島の原発事故で転院を余儀なくされた患者が、転院先で入院の必要はないと診断され、やっと退院できたという。番組では、40年も50年も病院に「収容」されていた「患者」が、福島の事故のおかげです、と話していた。

 

なぜこんなことになったのだろう。

 

昭和30年代、戦後の復興期を迎えた日本では、国家予算9,500億円の時代、うち2割、約1000億円が精神病患者のために費やされていると国自身が喧伝し、国家政策として精神病院を増やして患者をどんどん入院させたという。いったん入院した患者は、国の政策のもと、家族や地域からも厄介者となって、容易に退院することが叶わず、ずるずると長期入院させられた。入院の必要がない患者も確かにいたと証言する医師もコメントしていたが、こと精神病に関する限り、日本が世界の中でも突出した人権無視の国であったという事実、また実家に帰りたいという60歳を過ぎた娘に、いつまでも甘えるなと突き放す肉親のコメントなどもあり、いたたまれない思いがした。

 

たった1時間の番組を観ただけで早計な判断は慎むべきではある。だが、日本人は、表面的にはフレンドリーなお人好しを演じることは上手だが、心の中は思いのほか自己中心的で、他人との関りはノーリスクでありたいと願って一線を引く、冷たい面があることをこのたびも感じてしまった。

 

若人たちには、ボランティア活動などから、弱い立場の人に尽くすことへの喜びを感じることの大切さを学んでほしい。国のリーダーたちが、どんなに賢く、才能に恵まれていても、他者を気遣う思いやりの心がなければ、「精神科病院大国」の汚名はきっと晴らすことはできない。

 

 

 

2018年1月27日 (土)

(297)萩原遼さん

年末に金永煥(キムヨンファン)氏の講演のことをこのブログ293回で報告したが、その講演会で隣席に座られた萩原遼さんと久しぶりにお会いした。氏が発行されている「拉致と真実」のことで電話は何度かしていたものの、思いがけなくお会いできて喜んでいたが、数日後に訃報を聞くことになってしまった。それから早や1カ月余が経つ。

 

萩原さんとの交流は、氏が代表を務めておられた「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」が企画した「北朝鮮大学大阪校」というセミナーに参加した機縁から始まった。ちょうど10年前の20082月のことである。(このとき講師のひとりとして参加されていた青山繁晴氏との出会いもあった。)

 

珍しく予定のない今日、5年前の講演をネットで聴いた。胃がんを発症される前でお元気そのもののお話しぶり。60年に及ぶ北朝鮮との関りを紹介しながら、最後にはみんなで力を合わせて必ず北朝鮮から拉致被害者のみなさんを取り返そうと呼びかけておられたが、もうこの世でお会いすることはないのかと思うと哀しい。

 

17歳で故郷高知を離れ、大阪へ。父親の影響もあって18歳で共産党に入党。苦学しながら大阪外国語大学で朝鮮語を学ぶ。卒業と同時に「赤旗」記者となり、35歳のときピョンヤン支局へ。帰国事業で北朝鮮に帰っていた親友を探したことからスパイと疑われ、1年で日本に戻された。しかし1年の滞在で、理想としていた共産主義国の北朝鮮が、ろくに飯の食えないほど貧しく、国民が恐怖政治に翻弄されている国であることを知った。親友もすでに殺されていた。

 

氏が立派なのはその後である。北朝鮮がどうしてそんな国になってしまったかを独自に調べ上げ、著書を多数上梓する。北朝鮮との融和に舵を切った共産党とは袂を分かって、52歳からはアメリカに行き、3年間国立公文書館で朝鮮戦争と北朝鮮史の調査研究。金正日は父親金日成を殺害したとの結論に到達し、「金正日 隠された戦争 金日成の死と大量餓死の謎を解く」を世に問う。「北朝鮮に消えた友と私の物語」で第30回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。

 

一方で、「地上の楽園」と騙されて北朝鮮に渡った93千人の朝鮮人とその日本人妻について、脱北した彼らの支援事業に力を尽くす。朝鮮総連との闘いでは、朝鮮学校が使う教科書を日本語に翻訳出版し、拉致工作員養成のための朝鮮学校への補助金反対闘争。「朝鮮総連本部をさら地にする会」結成。情報誌「拉致と真実」の出版など、身の危険を厭わず活動された。

 

「真の」左翼活動家であり続けたその人生は、筆者のような凡人からみれば仰ぎ見るほど崇高なものであったが、ビールをこよなく愛する好々爺然とした晩年しか知らないので、氏の本領は那辺にあるか想像すらできないが、お元気で一緒にいてもらいたかった。その思いや切なるものがある。合掌。

 

 

2018年1月17日 (水)

(296)23年前

23年前の今日、117日早朝、奈良でも大きな揺れを感じて目が覚めた。家じゅうがギシギシと揺れ、「家よ、頑張って持ちこたえてくれ!」と一心に祈っていた。後に「阪神淡路大震災」と名付けられた大地震の体験だった。早めに家を出て会社に向かうが、電車は動いてはいるものの運転本数を絞っており、なかなか乗れない。大きな余震が来て、駅のホームが不気味な音をたてるなか、ようやく普通電車に乗れたが、難波まで1時間半くらいかかった。忘れたくても忘れられないあの朝のこと・・・。

 

半年後には神戸支店へ転勤となり、仮店舗での営業を強いられた。初めて体験することだらけであったにしても、今もなお当時の自分の未熟さ、不十分さを恥じる気持ちにかられることがある。一瞬にして家族を失い、人生の絶望の淵に立たされた人々の苦悩は、23年経とうが少しも変わらず、哀しみが癒えることはないだろう。それを言い訳がましく口にしないと心に刻み、生きてこられたにちがいない。震災を知らない世代が増え続けるなか、今朝の追悼の場では「伝える」という言葉が竹ローソクで形つくられていた。

 

そうだ。語り継がねばならないことは拉致問題も同じである。

 

去年、仲間が政府に提案して始まった中高生対象の「北朝鮮人権問題を考える作文コンクール」が、2年目の今年はもうやらないというのである。「いいアイディアだ」と担当大臣がすぐ承認してくれたと、去年の今頃確かに聴いていた。結果は全国で94校の応募、作品数1915点であったとのことだが、これで満足したのか、あるいはあまりに少ない応募数にガッカリしてしまったのか・・・。お役所のする仕事は、結果は求められない、やったという事実だけでOKということか。

 

地球で生活する以上、自然災害は避けられない。しかし、拉致被害者は北朝鮮の国家犯罪で奪われたのであり、さらに言うとこの事実を知りながら隠ぺいした日本政府のせいで被害者を増やしてしまったことなのだ。この人災は、国民の意思さえしっかりすれば防ぐことができる。すべての国民にこの問題の真実を知ってもらわねば、被害者とそのご家族の無念は晴らせない。

 

震災の犠牲者は残念ながら取り戻すことはできない。しかし、拉致被害者は今も北朝鮮に囚われている。国家の指導者が本気で取り組めば取り戻すことはできるのだ。

 

 

2018年1月 7日 (日)

(295)新春に、星野氏逝く

平成30年の新春を迎えた。今年は、学生時代の友人夫妻が奈良に来てくれたおかげで、薬師寺、唐招提寺、春日大社、東大寺と、名だたる寺社で初詣ができた。薬師寺ではこう教えられた。何をお願いしても良いが、まず「私も努力しますので」と最初に一言加えること、と。なるほど。薬師寺はサービス精神旺盛だ。薬師さんの前で、僧が交代でこうしたミニ講話をやっている。

 

「私も努力しますので、ピンピンコロリでお願いします!」と願いをした。

つまり、できれば死の直前まで何かして働いていたい、と。

 

20年余り前、教えを受けた田舞徳太郎師の年頭のメールには、「歳月を 重ねて生きて 今思う 二度なき世をば さらに励まん」とあった。生きることは学び続けること。心していきたい。

 

今年は18歳の人口が再び激減し始め、少子高齢化がいよいよ加速することを実感する年なのだそうだ。「働き方改革」、「女性活躍社会」など、スローガンがやたら叫ばれるが、どんな政策をとったとしても、もはや手遅れのように思う。「人々が集まり住むコンパクトな町づくりや、仕事の総量を減らすなど“戦略的に縮む”発想が求められる(産経新聞河合雅司氏)」と書かれていたが、これもイメージだけで実現性は伴わないだろう。

 

昨日6日、「人口減少社会と地方再生」をテーマに開催された土光杯弁論大会では、「高齢者の負担を増やし、必要以上に社会保障制度に甘えている現状を打破し、『働かざる者、食うべからず』の原則で、正直者がバカを見ない公正な制度に」と訴えた女子高校生が優勝したという。もっともなことである。心ある政治家は、わがままな高齢者が日本を滅ぼす、とハッキリ主張すべきだろう。明日は成人の日だが、若い世代のこれからの苦労は並大抵ではないだろう。

 

新年早々、元プロ野球監督の星野仙一氏が亡くなった。70歳での死で、「あまりに若い」、「まだ道半ば」と惜しむ声も多いようだが、野球人として素晴らしいキャリアだったし、「昼寝をしているように亡くなった」という亡くなり方にも筆者は羨ましくさえ感じる。70年は少しも短くはない。人生、時間ではなく、内容だ。

 

朝日新聞は、「慰問を止めさせた、本当の優しさは・・・」との見出しで、楽天監督時代のことを報じている。東日本大震災の被災地を慰問して回る選手たちにこう諭したそうだ。

 

「選手全員に『お前らの優しさは十二分に被災者に伝わった。でも、強さを伝えないと本当の優しさは生まれない。Bクラスばかりじゃ子どもたちは悲しむ。今年は強さを証明しよう』とげきを飛ばすと、選手の目の色が変わった」

 

星野氏自身の言葉である。そしてこの年、楽天は日本一に。一般に星野氏は「闘将」と呼ばれるが、選手はもとより、その家族、スタッフ、裏方さんの士気までも高める才を持っていた。「名将」と呼ばれるべきであろう。わが阪神タイガースを長期低落から救ってくれたのも星野氏であった。感謝。合掌。

 

 

2017年12月31日 (日)

(294)年末雑感

「平和」な年越し。少なくとも公共放送NHKを観ている限りは。ゴールデンタイムに流れるニュースのトップを見るがいい。12月は大相撲力士の暴力沙汰の後日談か、パンダの子がどうなった、紅白の出演順が決まった等々、いわゆる「三面記事」で占められている。(こうしたニュースには決まってNHKが取捨選択した「町の声」なるものが付け加えられる。)日本海には大量の北朝鮮の漁船が流れ着いているというのに。韓国は2年前の「慰安婦問題」に関する日韓合意を実質破棄したというのに。

 

こうしたメディアの報道姿勢と「町の声」は、中国は(北朝鮮も)リアルタイムで見ている。その中国に、自民党の二階幹事長が揉み手をしながら出かけていく。二階氏と手を組んだ安倍首相は、仕事納めが終わった29日にはもう身内とゴルフに興じている。第2次政権以降5年間、拉致被害者の家族に約束し続けている被害者の救出など彼の頭の中にはすでにない、ということを如実に表している。二階氏は来年の総裁選挙は無投票でいいのではないかと言い始めた。二階氏と阿吽の呼吸で政治を牛耳ろうとしている安倍氏の変身と劣化はひどいとは思わないか。金正恩が日本に拉致被害者を返すことは残念ながらありえない。

 

いけない。いつもと変わらない「ごまめの歯ぎしり」になってしまった。何か明るい展望はないか。先日、貴乃花親方ガンバレと書いたが、その気持ちは強くなってきた。彼は何とか相撲道の精神性を守ろうとし、外人力士のカネ儲け至上主義相撲に対して孤独な闘いをしているように思われる。理事会は全員一致で彼の理事解任を決めたそうだが、動じることはなかった。長い目でこの決着を見届けたいと思う。日本人の覚醒につながるものとして。

 

カズオ・イシグロの「わたしたちが孤児だったころ」を読んだ。彼の小説は本当に奥が深くて、一度通読したくらいでは何ともならないが、何だか惹き込まれていく。読んでいる自分も孤児そのもののように思えてくる。人間は自分のやっている仕事が何とか成功するよう必死で生きている。しかし、その仕事が(あるいは生き方が)世の中からみたらどう評価されるのか、に気がつくのはずっと後になってからである。彼の人間観はそこにあるようだ。

 

国も一緒だという。生き残るために、ファシズムなどかつての悪を受け入れてしまったことを都合よく忘れていく。あるいは忘れたフリをする。以前、ヒトの生存のため、脳は悪い記憶は忘れ、楽しい記憶だけが残っていくようにプログラミングされていると読んだことがあるが、国ともなれば自国本位になることが他国への不信はもとより、他からの憎悪を受けることにつながっていく。人間も国も、諍いや争いを宿命だと諦めるのではなく、自らの考えや行動が他からみればどうなのかという視点を忘れないように努力する。文学の役割はそこにあるというカズオ・イシグロの思想を知っただけでも、今年を生きた意味だと考えよう。

 

皆さま、良いお年をお迎えください。

 

 

2017年12月16日 (土)

(293)北朝鮮、侮るなかれ

金永煥(キムヨンファン)氏の講演を聴いた。かつて韓国で左翼運動をリードし、北朝鮮に密入国して金日成に会うなどしたが、その後北朝鮮における強制収容所の実態を知ったことから自らの誤りに気がつき、転向。今は逆に北朝鮮の民主化のための活動をしている。現在の金正恩と北朝鮮について以下のように語った。

 

2012年からこれまで6年間の金正恩時代、それまで(金正日政権)の賄賂や不正が横行し、統制が利かなくなっていた時代に比べ、朝鮮労働党と行政のシステムを立て直し機能させてきた。経済的にも社会主義を捨てて資本主義を導入した。今や配給場所も撤去してしまったという。

 

こうした転換が成果を上げ、近年食糧生産は500万トンに届くようになり、餓死者が出る300万トン以下の水準から大きく改善した。中国からの肥料のおかげもあるが、生産システムの変更が奏功したと言える。

 

市場経済を保護し、拡大奨励しているので資本家と国家の信頼関係が生まれている。最近完成した高層を含む40棟のビル群も、国家ではなく民間資本で建てたものだ。

 

今の北朝鮮の政策を表現する「二敵二改(開)」という言葉がある。「二敵」とは、外の敵、つまり米帝と南朝鮮との闘いと、内なる敵、つまり体制を脅かすものと妥協なく闘うことであり、実際、この方針により実の叔父でも粛清してしまった。「二改(開)」とは、文字通り改革開放であり、外から資本を入れていくことである。一見矛盾する政策のように見えるが、今のところ失敗しておらず、成果を上げているとみる。

 

「核と経済の併進路線」を堅持しており、いくら経済制裁を受けても核は絶対に放棄しない。核へのこだわりは、在韓米軍を追い出し、半島を北主導で統一するためである。核とミサイルで自分を守るしかないと考えている。ただ半島統一は容易でないことは北自身も分かっている。その証拠に、ここ20年の間、韓国に潜入して捕まった工作員の使命は脱北者の暗殺(脱北者への見せしめ)が主で、韓国の「赤化革命」のためのスパイはひとりもいない。

 

強制収容所などの人権状況は少しも好転していないが、以上のような状況をみると、内部崩壊も考えられず、アメリカが軍事攻撃をすることも考えられない。結局核を放棄させることもできず、今の政権と長期的につきあっていくしかないと思う・・・。

 

以上のような分析、見立ては日本国内ではおよそ聞いたことがない。安倍首相は「北朝鮮に未来はないことを思い知らせる」ために「経済制裁の強化」を続けるというが、これはこちらが勝手に言っていることで、存外北は強かである。金正恩政権をあまりバカにしているとしっぺ返しがくる可能性もあり、少なくとも拉致被害者の帰国など夢のまた夢となってしまいそうだ。

 

金永煥氏を鵜呑みにする必要はないが、日本政府やメディアは、こうした分析をどう見ているのか。しっかり対処できるのか(あるいは目をつむっていくのか)。正念場にあることだけは間違いない。

 

なお、この講演会の参加者は脱北者も含めてわずか30名程度で、メディア関係者もおらず、わずかに石丸次郎さんを見かけただけ。この状況も日本国民の将来が危ういことを痛感させた。

 

 

 

2017年12月 9日 (土)

(292)恐いもの知らず

将棋の羽生善治さんが前人未到の「永世七冠」の称号を獲得!素晴らしい。同時に「タイトル獲得を99期とし、100期に王手をかけた。凄いというしかない。天賦の才能を得た棋士であるが、それだけではなく、歳をとっても常に新たな挑戦をし続けているからこその偉業であるらしい。特に人工知能(AI)についての造詣は並大抵ではない。

 

その羽生さんの著書によると、人間にあってAIにないのは「恐怖心」であるという。AIが人間の思考の盲点を平気でついてくるのは、怖いもの知らずだからだそうである。(産経抄)なるほど。

 

核開発やミサイルによる恫喝を止めない北朝鮮の指導者も人間である。内心では恐怖を覚えているのかどうか。逆に今の日本は戦争に対するあまりの「恐怖心」から、無法国家と戦う意思はまったく持たない。憲法9条を手放せば、即戦争への道と恐怖心を煽る左派政党はもちろん、「憲法改正」も「拉致被害者救出」も、口先だけで、アメリカのポチに徹して、ご主人トランプ氏の顔色を窺っているだけの安倍首相も、どちらも恐怖心の塊にしか見えない。そんな与党政権の支持率が、また50%台に回復してきたと聞くと、いったいこの国はどうなっているのかと思わざるを得ない。

 

天皇陛下もお歳を召されて、疲れたから辞めたいと暗におっしゃり、再来年には200年ぶりの天皇退位が決定したが、こんなことでいいのだろうか。「平和国家の象徴」として、ずいぶん貢献されたとは思うが、イザというときに、命を懸けて国のために戦う「国民の統合の象徴」でもあっていただきたい。もちろん戦争は起きてほしくはないが、何が起こっても国家と国民を守っていくという強い信念が天皇にも指導者にも求められる。そういう存在なのだという自覚がご本人になくなれば、国は滅んでいくのではないのか。

 

人間の恐怖心が薄らぎ、AI万能の世の中が身近に迫っていると思うと、安穏とはしていられない。いまからでは既に遅いのかもしれないが、かけがえのない祖国を守り抜くために必要なことを、特に権力の側にいる人たち、メディアにはもっと真剣に考えてほしい。

 

過度な恐怖心も、恐怖心を忘れることも、どちらも将来を誤ることになると肝に銘じたい。

 

 

2017年11月30日 (木)

(291)11月のサマリー

政府、国会の無能をあざ笑うかのように、北朝鮮がこれまでで一番の高度に達するミサイルを打ち上げた。トランプと金正恩の意地の張り合い攻防は果たしてどこまで続くのか。

 

併せて今月、北朝鮮の「漁船」が毎日のように日本海沿岸に押し寄せている。「船員」の死体までも。国防上、尋常ならざる事態が目前に迫ってきた。もう「評論家」の話を聴き流している状況ではなくなってきた。官民それぞれが国家と国民を守るということについて、真剣にならない限り危機は一挙に高まる。今月は大きな節目になるのではないかという気がする。

 

東芝の粉飾決算に始まった大企業の不祥事。内容はさまざまなれど、日産、トヨタ、スバル、三菱など自動車各社の完成品検査の杜撰さや、神戸製鋼、三菱マテリアルなど素材メーカーのデータ改ざんも悪質。今後どこまで及ぶのか際限がない状況で、今月はついに経団連会長を輩出している東レでもデータ改ざんが発覚した。高品質と信頼の代名詞「メイド・イン・ジャパン」はどこにいったのか。口では改革を謳いながら、実は自分の意中の人物を後継指名するトップ人事の悪しき慣習。サラリーマン社長の限界がきたともいえる。

 

横綱日馬富士がモンゴル人力士の懇親会で暴力を振るって昨日引退。横綱としては朝青龍に続く不祥事。日本の国技なのに、今や上位力士の多くがモンゴル出身者で日本人力士は肩身が狭い。そのため増長したのか、同じくモンゴル人の白鵬が九州場所の優勝インタビューで、事件の当事者であるモンゴルの二人を再び土俵に上げたいと勝手なコメントをし、挙句に万歳三唱の音頭をとった。モンゴルに国技が乗っ取られた瞬間だった。白鵬の横暴極まれり。貴乃花親方よ、負けるな。

 

地元町内での毎月1回の映画会で、カズオ・イシグロ原作の「日の名残り」を上映。通常の回覧のほか、掲示板にもチラシを張り出して「今年ノーベル文学賞受賞の・・・」と広報した割にご来場は9名で少し落胆したが、何でもやり続けることが肝心と思い直す。ちなみにこれまでのヒットは福山雅治の「そして父になる」の23名で、もともとその程度なのだが。

 

2軒隣のGさんが77歳で他界された。いつも笑顔を絶やさず、面倒見の良い方で親しくさせてもらっただけに哀しい。なかなか手放せなかったタバコのせいだとご本人も分かっていた肺がん。ご家族に伺うと、タクシーを呼んで一人で病院に行き、そのまま不帰の人となられた由。たいして苦しまなかったことが救いです、と聞き少しホッとした。合掌

 

 

2017年11月19日 (日)

(290)新潟の拉致現場を訪ねて

めぐみさんが拉致されてちょうど40年になる1115日、初めて新潟の拉致現場を訪ねた。

 

40年前のその日は良いお天気だったと聞いたが、あいにく訪れた日は午後から雨が降り続いていた。新潟駅からタクシーで、めぐみさんが通っていた寄居中学校前まで行き、そこから歩くことにした。中学の校舎は建て替わっているそうだが、美しい、趣が感じられる学校だった。桜の樹は大半葉を落としてはいたが、入学のときの満開の写真をほうふつとさせてくれた。

 

めぐみさんはバドミントンの練習を終えて、友人と三人で帰路についた。自宅へはバス通りを海に向かって北西方向に行き、3本目の角を左折し、2本目を右折する。学校から自宅までの距離は600mくらい、歩いて78分の近さである。まず一人の友人と別れ、次の角でもう一人とも別れて一人になったあと、バス通りで拉致されたと言われている。雨の中、車やバスが、頻繁に通るが、当時も結構車は走っていたそうだ。

 

(今年の春行われた特定失踪者問題調査会の再調査によって、バス通りではなく、新潟大学付属小学校前を自宅方向に左折してから少し歩いた広場の近くで拉致されたのではないかという新しい見解が発表された。日が暮れてすでにあたりは暗いといっても、交通量がある通りでの拉致は見とがめられる確率は高い。新見解の妥当性を感じる。)

 

横田家のあったあたりは新しい(といっても10年以上は経っている)家が建ち並び、広場もすでに住宅地となっている。落ち着いた雰囲気の住宅地である。

 

学校から海に向かう道は最初登り路で、しばらく行って今度は下りになる。新潟の海岸特有の地形で、信濃川、阿賀野川はじめ多くの河川が運ぶ大量の土砂が、海からの波や風で押しとどめられて、海岸の内陸側に低い丘状の土地ができたものらしい。このため登り路では海が見通せない。拉致が下り路で行われた場合、確かに死角にはなる。

 

拉致現場付近に、地元のテレビ局がナマ中継の準備をしていた。お互いに雨の中をご苦労さま、と労いあいながら少し話をした。大阪から来たと言ったらびっくりされた。

 

再度バス通りに戻って海に向かう。左側に壮麗な護国神社がある。救出祈願の祈りを捧げる。一組だけ七五三のお参りらしい家族を見かけた。子どもたちの成長を祈るこの日に、めぐみさんは親と引き裂かれたのだ。あらためてそのことを想う。

 

護国神社から寄居海岸はすぐである。風雨が強い。折り畳み傘が風にあおられ、何度もばらけそうになる。波も白いしぶきを上げながら海岸に打ち寄せる。暗い波間の彼方には佐渡島があり、そしてさらに向こうに北朝鮮があるのだ。海岸沿いの道にも結構車が走っている。その日、早紀江さんは二人の幼い弟たちの手を引いて防風林の中まで入り、「めぐみちゃーん!めぐみちゃーん!」と呼び続けた。真っ暗な海岸べりを懐中電灯だけで娘を探し回った親子の姿を想像する。どんな恐怖と不安だっただろうか。「煙のように」消えてしまった娘の消息は、その後20年もの間、杳としてわからなかった・・・。

 

新潟ではこの一週間、拉致問題を考える企画が連日行われ、この日の夜は、「めぐみさんに会いたい~拉致から40年 思いを語る、奏でる~」という会があった。拉致被害者であり、かつ母を拉致された家族でもある曽我ひとみさんのお話と、めぐみさんの同級生、吉田直矢さんのバイオリン演奏を聴いた。

 

まためぐみさんの写真展も開催されており、初めて観る写真もたくさんあったし、報道各社が拉致事件の疑いとして報じる過去の貴重な新聞記事もたくさん張り出されており、記事のみ1枚づつ写真を撮らせてもらった。

 

めぐみさんが6年生のときの書き初め「元朝の志」という書の写真。12歳とは思えない、堂々とした書でしばらく見入ってしまった。「もういい加減にしたらと言っても聞かず、何度も何度も書き直し、ようやく納得した」作品であるとの、早紀江さんのコメントが添えられていた。この書を見、「流浪の民」のソロを聴き、バドミントンの強豪校であった寄居中学で市の強化選手に選抜される力をもっていためぐみさん。学問、芸術、スポーツに優れた才能を発揮していた女生徒だったと思うと、ことさら北朝鮮の蛮行が恨めしく、あらためて強烈な怒りにかられる。

 

新潟を訪れなければ感じられないこと、学ぶことがたくさんあった。その夜ご一緒させていただいた同級生のみなさんの、級友を助け出すという強い思い、吉田さんの魂のこもった圧巻の演奏など、まったくこちらが励まされることになった。

 

必ず助け出さねばならない。日本人が一丸となって。

 

 

2017年11月12日 (日)

(289)横田早紀江さんの手紙

横田めぐみさんの母である早紀江さんから便箋5枚にも及ぶ自筆のお手紙をいただいた。今月6日のトランプ大統領との面談前のご多忙な時期に書いてくださった。9月にお邪魔したときに体調がよくないことを具体的に語っておられ、現にこの手紙にも「六日には大統領との対面が近づいておりますのに、喉風邪でしょうか、声が全く嗄れて出なくなり喉が痛く咳も出て、六日迄に何とか治る様に点滴をし、お薬を貰って来ました」と書かれている。

 

そんななかで綴ってくださった、美しい字と、お心のこもった内容。読ませてもらっているうち自然と涙が流れでた。なんという優しいお人であることか。そして強いお人であることか。この方と、この世でお会いできたことだけで、これまで生きてきた甲斐があったとさえ思う。

 

早紀江さんは41歳のとき愛娘を捕られ、それから40年という月日、過酷な人生を強いられている。最初の20年、つまり61歳までは愛娘の所在さえわからなかったのだ。その時期が一番苦しかったと話されている。しかし、北朝鮮にいると判明して、会える日が来るという期待が生まれてから、また無情にも20年が過ぎていったのだ。取り返してくれない日本政府への憤りをお持ちになっていることは容易に想像できるが、家族としてあからさまに政府を批判することもできない。今年、拉致を許してしまったことを「国家の恥」と発言されたのが精いっぱいのところだろう。

 

手紙にはこう書かれている。

「今や北朝鮮と言う異形な国が世界に顕わされ、関心を持たれる様になりました。後一歩と言う大事な時が来ましたが、全ては人の思いや力ではなく、神の御意志がどう働かれますのか・・・?と、息を呑む思いで暮らしております。」

 

ご家族の思いに応えられず、この境地まで追いやってしまっている日本という国は、もはや国家の体をなしていないし、他人事のように拉致問題を聞き流す国民の責任も大きい。市井の一人としては今後何ができるだろう?今週、めぐみさんが拉致された1115日、新潟の拉致現場に行く予定をしている。めぐみさんと横田家の皆さんの思いに1ミリでも近づくために・・・。

 

 

 

2017年11月 4日 (土)

(288)希望の10月

10月は、個人的には「拉致被害者救出・府民の集い」の開催と、新たな仕事を始めたりと大忙し、世間的には、意外な結末となった衆議院選挙がありましたが、敢えて「希望の10月」だったと強弁したい(?)と思います。

 

<安倍一強の継続>

 小池都知事の「希望の党」が失速して野党が大混乱し、「立憲民主党」という左翼政党が野党第一党になった衆議院選挙。小池氏、前原氏が行った民進党の解体は、一度は通らなければならない道で否定的にみる必要はまったくない。成熟した二大政党制にはまだまだ時間が必要ということ。

 自民党の「圧勝」と言われているが、果たしてそうか。安倍さんの運の強さは認めよう。しかし、選挙中に、トランプ大統領と拉致被害者家族を引き合わせることを、(自身の功績といわんばかりに)言い立てたのはフェアな態度か。筆者の安倍批判は、拉致を政治利用しているという疑念にある。北朝鮮へ真に圧力をかけるというなら、朝鮮総連を今のままにしておいて良いはずがないし、後記のような政界における「圧力」を払拭することに取り組んでもらいたい。

 次世代を担う小泉進次郎氏の、自民党に対する国民の視線は厳しい、という認識と勇気ある発信にこそ希望があるという気がする。

 

<カンテレ>

 カンテレの「報道ランナー」が、大阪での拉致被害者救出活動を約10分間紹介してくれた。冷淡なメディアが増える中、丁寧に取材してくれたI記者に感謝したい。

 番組を観た見ず知らずの地方議員の方から、「私の周りでは、北朝鮮や拉致の問題に関わること自体がタブーになっていて、園遊会への招待や表彰に差し支えると言われている」という告発をいただいた。この種の隠然とした圧力が今なお日本国内に存在していることを知らされた。メディアへも同様のプレッシャーがあることも容易に推測できる。この国内の現実との闘いが必要なのだと再認識する。筆者の手にはあまる仕事だが。

 

<仕事>

 不動産の仕事を再開した。週2日でよいと寛大な条件で誘っていただいたご縁に感謝して、体力の続く限り、できるだけ限りのことはさせてもらおう。70歳を過ぎて意気軒高な何人かのみなさん(中には80台半ばの方も)との交流も再開でき、嬉しいことである。

 

 

 

2017年10月22日 (日)

(287)めぐみさんのことを語ろう(3)

劇団夜想会主宰の野伏翔さん、特定失踪者問題調査会代表の荒木和博さんの講演は、なぜ拉致事件が引き起こされたか、なぜ解決しないのか、についての問題提起でした。

 

<野伏翔さん>

舞台劇「めぐみへの誓い~奪還~」の制作動機やプロセス、その間に勉強したことを話してくださった。

 

最初のバージョン「めぐみへの誓い」ができた2012年、周囲の抵抗が強かった。演劇や映画界は北朝鮮にシンパシーを感じる人が多い。どういう風にやれば本当の啓発になるか、を考えた。昔こんな誘拐事件がありました、ではなく、観る人に拉致被害者の家族や友人と同じような感覚になってもらうことが大切だと考えた。過去のことではなく現在進行形の誘拐事件であること、強制収容所など非人道的な部分も描かなければならないが、一部の家族から、うちの子も収容所に入れられ、もう殺されていると世間は思うのではないか、といった反対が出された。家族の集まりで劇の主旨を話したとき、「そういうこと(啓発としての劇)ができないから(拉致問題は)動かないんだ、ぜひやってもらいたい」と大声で応援してくれたのが有本のお父さん。そのつるの一声で動き出した。新しいバージョンの「奪還」では、被害者ごとの具体的な拉致の場面も描いた。

 

どうしてこんなに長い間解決しないのかを考えると、政治の背景に何人も北朝鮮や朝鮮総連シンパの有力議員がいたことが分かってきたと実名を挙げて話され、北朝鮮帰国事業についてや、北朝鮮が日本からカネを巻き上げる実態も具体的に話された。救出段階では首相の英断で超法規措置がとれるかどうかにかかっている。そのための世論形成が必要で、頑張っていきたい、と力強く締めくくられた。

 

<荒木和博さん>

「めぐみさん拉致の真実」と題して、日本の闇の深さを語ってくださった。安倍さんがいくら頑張っても解決しない、そういう問題だと明言された。

 

めぐみさん拉致について、40年前拉致されたとき、すでに北朝鮮の拉致であることを、警察の上層部はもちろん、政府ももちろんトップの首相も知っていた。なぜか。普通の誘拐事件なら極秘捜査するはずだが、姿を消した翌日には機動隊が700人も出て大規模な捜索をしていた。さらに当時の新潟中央署の松本署長(故人)が9年前、横田さんに、当時北朝鮮の仕業だとわかっていたが、救出できなかったことを詫び、私が生きているうちに伝えたかったと語っている。

 

警察は、事前に電波情報で北朝鮮が何かしようとしていることはわかっていて警戒はしていた。だからめぐみさんの捜索願がでたとき、北朝鮮の拉致だと直感したはずだ。そこでせめて船に乗せられ、日本の領土から運び出すのを阻止すべく必死に動いたはずだが失敗したため、これは表に出せないと判断し、箝口令が敷かれた。警察でも末端の人は知らなかっただろう。公安畑の知識のある人だけが知っていたと推測される。おそらくこのことは首相官邸も知っていた。しかし中学生が北朝鮮に連れていかれたことが表沙汰になったらどうするか、日本は北朝鮮との国交はない、戦争はしないことになっている、だから助けられない。見殺しにするしかなかった。これがこの国の現状です。

 

めぐみさん拉致の2か月前起こったダッカのハイジャック事件のとき、福田首相は犯人の要求に屈して、超法規的措置により、16億円の身代金を支払い、収監していた犯人の仲間たちを釈放した。「人間の命は地球より重い」というなら、いかなることをやってでもめぐみさんを救出しなければならなかったはず。しかししなかった。この国は戦後、戦争を放棄したと言って自慢してきた。いくら戦争を放棄したって、戦争は日本を放棄しない。実際は戦争を放棄したのではなく、在日米軍にやらせていただけ。アメリカも自分の都合のいいときは戦争をやるけれども、そうでないときにはやらない。拉致についてもそうで、めぐみさんはその間の隙間というか、穴に落ちたのだということだろう。

 

次に1995年(平成7年)頃、新潟県警の警備部のあるスタッフが、上司から横田めぐみ失踪について調べるように言われた。しかも他の者には知られないよう、お前だけでやれ、と言われた。言われた方はなぜこんな指示が出たかわからなかった。この時期は、韓国の情報部から、中学生が70年代の後半、バドミントンの練習の帰りに拉致されたという情報がもたらされたときです。石高健次さんが警察にそれを伝えたが、過去のことで資料も残ってないと言われた。これは間違いなく警察のウソである。このことは横田さんのご家族にも、ましてや一般国民には知らされなかった。これが2回目の隠ぺいです。

 

3回目は1997年(平成9年)の23日、めぐみさんについて西村真悟議員が橋本龍太郎総理大臣に国会で質問した。総理は何とかしなければと本気で思って、密使として民族派の幹部本多一夫氏をピョンヤンに送った。そのとき、本多氏は北の案内人から「横田めぐみは、あのアパートに住んでいる」と言われた。「フラッシュ」という週刊誌にも出ている。5年後、小泉訪朝のとき、1993年に横田めぐみさんは死んでいるといわれたときに、なぜ日本政府代表団は、それは違うと言わなかったのか。象徴的なめぐみさん拉致についても3回も隠ぺいしている。

 

これは一人、二人の政治家が悪いというようなことではない。私が解決すると言っている安倍さんでもこのことは言えない。自民党政権のみならず、細川政権でも民主党政権でも何ら変わらなかった。それだけ根深い問題であるということです。政府が認めている拉致事件は、未遂も含めて14件、21人です。警察が認定した高姉弟も入っているが、これらの事件についても警察は家族に捜査状況、結果について事実上一切何も知らせていない。有本さんはヨーロッパからの拉致ですが、警察はものすごい捜査をしていますが、表に出そうとしない。これがこの国の実情です。

 

もし、北朝鮮に助けに行ったとして、被害者に会えた場合、被害者は安心して「良かった!」と言う人はほとんどいないだろう。助けに来たと言っているこの人たちは本物だろうか?自分を試しているのかもしれない、「帰りたい」と言ったとたんに殺されるかもしれない。収容所に送られてしまうかもしれない。おそらくそう考える。帰国された蓮池さんたちも、自分たちがどこでどういうふうに拉致されたか今も正確には話していません。今の北朝鮮の体制が崩壊しない限り恐怖から逃れられないということです・・・。

 

今回の「めぐみさんのことを語ろう」と呼びかけた集会は、ゲスト、講師の真摯な思いが披歴されたことにより、筆者が当初考えたより、はるかに濃厚な内容となりました。参加された方々が、拉致の真実を広めるために動いていただくことを期待したいと思います。

 

10月も終わろうとしている今、日本では安倍長期政権を作るための選挙が行われています。野党勢力が分裂し、自公連立政権の大勝利と予想されていますが、もしそうなったとしても、115日、安倍さんとトランプさんがガッチリ握手をしても、手放しでは喜べないと思います。日本人が本気になって拉致被害者を救出するという覚悟をしない限り。

 

 

2017年10月19日 (木)

(286)めぐみさんのことを語ろう(2)

続いて「府民の集い」は、横田めぐみさんの弟で、家族会事務局長を務めていらっしゃる横田拓也さんが登壇され、冒頭、清水さんの話を聴き、拉致当時のことを思い出して(動揺されたのか)落ち着かない気持ちになったと。講演の順番を決めた主催者として配慮が足りなかったかと反省しました。しかし、限られた30分の中で、拉致被害者の家族として、家族会の事務局長としての訴えをしてくださいました。要旨はおよそ以下のとおりでした。

 

拓也さんは当時小学3年。当日はお姉さんが帰宅しないため、真っ暗な海岸や近くにあった昼でも怖いような廃墟となっているホテルの中まで、娘を探し回る母に手を引かれて行ったときの恐怖心や、大勢のお巡りさんがやって来て、逆探知装置をセットしたりし、わが家がまるで当時テレビの人気番組だった「西部警察」の舞台になったようだったこと、ひまわりのような存在だった姉がいなくなり、家の中は一変してしまったこと、一番辛かったのは、北朝鮮の仕業とわかるまでの20年間だったこと。

 

悲しさを癒すために犬を飼ってくれた父が、毎日朝晩散歩をする道すがら、それとなく娘を探している様子や、夕陽の海岸でデートをしているアベックの車の助手席まで、娘ではないかと見に行った母親の気丈さなど、両親の真剣さ、つらさを子供心に感じていたこと、心無い人間からの脅迫電話も幾度かあったが、そんななかで泣き言ひとつ言わない父が、ある夜、お風呂でひとり、頭からお湯をかぶりながら声を殺して泣いていた姿を偶然見てしまったことなど、拉致によって家族中が受けた衝撃と苦悩を話された。

 

1997年、国会で北朝鮮の拉致が疑われ、決算委員会での質疑となったとき、めぐみさんの実名を出すかどうかで、家族のなかで激論となったこと、最後には実名を出さなければ世間は味方をしてくれないと父が決断したことで、世の中が動き始めたが、当時のメディアは北朝鮮のことを「北朝鮮 朝鮮民主主義人民共和国」とわざわざ呼び、腫れ物に触るように扱っていたこと。政府や国会でも、北朝鮮の実態とか真実を見つめないようにしようという環境づくり、雰囲気作りが行われていたこと、そのために日本国民が拉致事件、拉致問題に向き合えなかった大きな遠因だといまでも思っている。家族は、北朝鮮に拉致被害者を返せというまえに、北朝鮮へコメ支援をする日本政府に対して声をあげていかなければならなかった時代が、ついこのあいだまであったということを知っておいてほしいし、北朝鮮の主張を代弁するようなコメンテーターが堂々とテレビに出ていた、そのことに私たちは苦しめられた、このことは絶対に忘れません、と。

 

私たちは個人の立場でしかなく、北朝鮮に対して直接何もできないが、民主主義の日本では民意こそが重要で、言葉が武器であり、思いを言葉にし、外務省を動かしていくことができる。北朝鮮にはない私たちの力です。政府の拉致問題対策本部のホームページにある拉致年表を読むと、拉致された1977年から拉致判明の2002年まで、私たちがもっとも苦しかった25年がわずか45行で片付けられています。姉がその人生において失った大切な40年、奪われた40年のことは、姉だけのためではなく、日本人として決して許せないことなのです、皆さんにもぜひ我がこととして言い続けていただければと思います。

 

2002年に金正日が拉致を認め、5人を返したのは好意から出たものではなく、ブッシュ大統領が北朝鮮を悪の枢軸と呼んだことから、これは本気でやるぞという意思だと北朝鮮が感じて、米朝の関係悪化を回避するために日本を使おうとしたに過ぎない、一部白旗をあげたということでしかありません。そのとき死亡とされた姉を含む被害者についての証拠に信ぴょう性は何もなかったし、姉の「遺骨」もニセものだったということは、日本という国がバカにされているということです。北朝鮮では日本への侵入は、トイレに入るよりたやすい、レベルの低い工作員でも簡単に入れるといわれているそうです、場合によると870人以上が拉致されていて、うち5人しか帰ってきていない。拉致事件を解決できないようなら日本の安全保障はないし、北朝鮮の国民自身も人権人道上の被害者であるからその視点からも金正恩政権を許してはならない、と。

 

最後に9月の訪米報告。核・ミサイル問題等安全保障の脅威のなかに、拉致事件が埋もれてしまわないように、再度北朝鮮をテロ国家に指定してほしい、と強く要請してきた。大統領が国連総会で姉のことに言及されたことは前進ではあるが、ブッシュ大統領時代の2006年訪米の際にもお願いしてきたが、その後何も解決できていない。姉たちが帰ってこなければゴールとは言えず、日本政府にはものすごいスピードで頑張ってもらわないといけない。しかし、国内で拉致実行犯、協力者の誰ひとりも捕まっていないのもなぜか。両親はじめ私たち家族は、40年苦しめられたうえに姉に会わせてもらえないのか。そんなことはあってはいけない。

 

「おかげさまで姉が帰ってきました。ありがとうございました。」とみなさんに感謝を早く言える日がくること、そのために、今日も大阪の皆さんから「気」をいただきました。負けずに頑張っていきますので、どうかよろしくお願いいたします。(要旨以上)

 

拓也さん。ありがとうございました。大阪の「気」を感じていただいたとしたら嬉しいことですし、これからもともに頑張っていきましょう。筆者も拓也さん以上に、何の力も持たない一市井の人間ですが、一生懸命頑張っていきます。

 

 

2017年10月17日 (火)

(285)めぐみさんのことを語ろう(1)

「めぐみさんのことを語ろう」と呼びかけた今年の「府民の集い」は、109日に予定どおり開催、満員になって、参加された方からも「これまでのなかで一番良かった」と言われたりしてホッとしました。ただ、満員といっても250名の会場でしたので、昨年の370名よりも減りました。

 

最初に横田早紀江さんからお預かりしたメッセージを紹介したあと、トップバッターをお願いしたのが、サプライズゲストの清水雅生さん。めぐみさんと小6、中1で、同じクラス、同じバドミントン部の友人。彼はまず小学校の卒業式後の謝恩会で6年生全員が演奏した合唱曲、シューマンの「流浪の民」の音源を持参し、会場で披露してくれました。

 

各地を放浪するジプシーの生活を歌ったこの曲を、なぜ卒業式で選んでしまったのか、という清水さんの疑問と悔恨の思いに共感しました。「流浪の民」のジプシーには家族がいますが、めぐみさんはたった一人で連れていかれたのですから、その苦しみ、哀しみは比較にはなりません。美しい日本語に訳された歌詞です。

   

「流浪の民」 石倉小三郎訳詞

ぶなの森の葉隠れに

宴寿(うたげほが)い賑わしや
松明(たいまつ)(あか)く照らしつつ
木の葉敷きて倨居(うつい)する
これぞ流浪の人の群れ
(まなこ)光り髪清ら
ニイルの水に浸(ひた)されて
(きら)ら煌ら輝けり

燃ゆる火を囲みつつ
燃ゆる赤き炎 焚火
強く猛き男(おのこ)安らう
巡り男休らう
(おみな)立ちて忙しく
酒を酌()みて注()し巡る

歌い騒ぐ其の中に
南の邦(くに)恋うるあり
厄難(なやみ)祓う祈言(ねぎごと)
語り告ぐる嫗(おうな)あり

(めぐ)し乙女舞い出(いで)
松明明く照りわたる
管弦の響き賑わしく
連れ立ちて舞い遊ぶ

すでに歌い疲れてや
眠りを誘う夜の風
慣れし故郷を放たれて
夢に楽土求めたり
(この下線部分がめぐみさんのソロ)
慣れし故郷を放たれて
夢に楽土求めたり

(ひんがし)空の白みては
夜の姿かき失せぬ
ねぐら離れ鳥鳴けば
何処(いずこ)行くか流浪の民


何処行くか流浪の民
何処行くか流浪の民
流浪の民

 

曲が流れはじめると、この哀しく、美しいハーモニーのなかに、めぐみさんがいると思うだけで、すぐに胸がいっぱいになってしまいました。会場全体もそんな感じでした。ソロを歌うめぐみさんは知的な、気品さえ感じる声でした。

 

親しい友達「横田」を失った清水さんの哀しみが心を打ちました。人前では控えめだったが、明るく、思いやりのある性格だった、と清水さんはいくつかのエピソードを語ってくれました。

 

そして、突然姿を消したその夜のこと。その翌日の学校でのこと。そして2004年に、北朝鮮がニセの遺骨とともに送ってきた写真のなかの一枚について。中学の制服の下に着ていたジャンパースカート姿だったことから、拉致されてからそんなに時間が経っていない頃と思われること、工作船の中で「お母さん、助けて!」と泣き叫びながら、壁をかきむしって指の爪をはがしてしまったために、治療中の手の部分が写されていないと思われること、同級生のみんなも「痩せて、魂の抜けた」表情に驚いたことなど、を率直に話されました。

「この写真こそが拉致の本質、残酷さを表している」と、仲良しで無二の友達を奪われた40年前の少年は訴え、「府民の集い」は、深く心に残るオープニングとなりました。

 

 

2017年10月 7日 (土)

(284)おもしろい選挙

まずは今年のノーベル文学賞受賞が決まったカズオ・イシグロ氏に祝意を!一昨年のイギリス旅行のときのガイドさんがなかなか知的な方で、氏の「日の名残り」の話をしてくれたおかげで帰国してすぐ読みました。(本ブログ192回/日の名残り)イギリスの思い出とともにいっぺんに親近感を覚える存在となりました。「私を忘れないで」「夜想曲集」なども印象深いのですが、「忘れられた巨人」は、ファンタジーの部分が自分にはどうも合わないようで、途中で挫折し本棚の飾りとなっています。翻訳文でも何の抵抗がないのは、氏の英語が日本語の感性と融合しているのかもしれません。

 

さてさて、おもしろい選挙が始まりそうです。不謹慎な言い方かもしれませんが、安倍さんの突然の解散表明にも屈せず、小池百合子東京都知事と、民進党の代表になったばかりの前原代表が手を携えて、安倍一強体制を打破しようというのですから、関係者はみな大混乱。公示前数日というのに、未だ自分はどこの党から出るのか迷っている、あるいは分かっていないという人もいるとか。

 

小池潰しに躍起となっている自民党は、いろいろケチをつけていますが、あなた方も長らく創価学会というれっきとした宗教団体があやつる政党に依存して今の地位を得ていることをお忘れかといいたいですね。ここまで野党が時間のないなか、左右の色分けをきっちりして闘う態勢を作ってくるとは、安倍さんも考えていなかったに違いない。安倍一強体制がゆらぐかどうかはわかりませんが、リーダー次第で政治は動くということを見せてもらっただけでも今回は歴史的な選挙になると思います。

 

筆者はいわゆる「無党派」ですが、今回は自民党には入れません。アメリカのトランプ大統領次第で国の命運が変わっていくような政治はまっぴらです。安倍さん支持の方は、アメリカや諸外国とうまくやれる首相は立派だとおっしゃいますが、果たしてそうでしょうか?うまくやるに越したことはないが、トランプ氏がヘンなことを言ったら、しっかり諭すことも大事です。そうした対等の外交をしているようには見えません。

 

口ばかり達者な人は、再来年、消費税率を上げる分は、教育無償化など若い世代の応援に使うと急に言い出し、その方針を理解してもらうために解散するのだと。一方で、将来の財政再建に支障が出来て、結果若い層の負担が増えることもあると示して、どちらを選択するのかというのならまだましですが、耳障りのよいことで票を稼ごうというリーダーには、小池さんたちを批判する資格があるようにはおもえません。その点、優柔不断に見えていた前原さんが、仲間からの批判も覚悟のうえで民進党の思想整理を断行した度胸に軍配をあげたいと思います。いずれにしても、久々におもしろい選挙になること間違いなし。

 

 

 

2017年9月30日 (土)

(283)横田早紀江さんとの対話

今週火曜日に、ご自宅のある川崎のマンションに横田早紀江さんを訪ねました。こんどの大阪府民集会に寄せるビデオメッセージを収録させてもらうために。

1時間50分もお邪魔をして、いろいろなお話をさせていただきました。これまでも何度かお会いしましたが、こんなにゆっくりと対話するのは初めてでした。

 

身体のあちこちが痛むそうですが、気が張っておられるからか、凛とした佇まいはテレビで拝見するお姿と変わらず、さすがと感じ入りました。

 

直近のアメリカのトランプ大統領が、国連演説で初めてめぐみさんのことを語ったことへの素直な喜びから、一向に動かない日本政府へのいらだたしさ、一昨年モンゴルで孫のヘギョンさん夫妻とひ孫と面会したときのこと、また、めぐみさんが拉致される前のご家庭の様子やめぐみさんのこと、さらには戦時中、京都の田舎に疎開した頃の思い出まで、話題は多岐に亘りました。ありがたいことでした。

 

疎開先で、ひもじさのあまり、ふすまのこげ茶色の取っ手がチョコレートに見えたと「めぐみへの手紙」(早紀江さんの文章が今年から産経新聞に随時掲載されている)に書かれていましたね、と水を向けると、本当にひもじく、つらい疎開生活でした、でも疎開先で生まれて初めて体験した、息をのむような自然の美しさや、生きものたちとの出会いなどは新鮮で、その感動は決して忘れられないものになり、今も私を形作っていると思っています、とおっしゃった。

 

世の中には、必ず両面があり、娘を拉致され、死にたいとも思い、発狂しそうな時もあったが、信仰を与えられ、多くの人に支えられて今がある、目に見えない大きなものに守られていると実感します、と述べられた。

 

日本は立派な国で、素晴らしい人もたくさんいるのに、正義と悪の認識があいまいで、そのためまだまだ本気度が足りないために、北朝鮮にやりたい放題されてしまって、子どもが拉致されても救えないことは本当に残念ですが、絶対にあきらめない、めぐみと会える日を信じています、と結ばれた。

 

私のモットーは、「感謝を忘れず、ベストを尽くす」なのですが、こんなに日本のために頑張ってくださっている横田ご夫妻には感謝しかありません。私は拉致問題と関わらせていただいて、たくさんのことを学ばせていただきましたが、ご夫妻の存在のおかげです、とお礼を述べ、ベストを尽くす決意を新たにしました。

 

2017年9月16日 (土)

(282)尊厳死協会

先日の誕生日に、日本尊厳死協会に入会届を出したところ、折り返し会員証が届きました。

会員証には次の3点が書かれています。

 

 私の傷病が、現代医学では不治の状態であり、既に死が迫っていると判断された場合には、ただ単に死期を引き延ばすためだけの延命措置はお断りいたします。

 ただしこの場合、私の苦痛を和らげるためには、麻薬などの適切な使用により充分な緩和医療を行ってください。

 私が回復可能な遷延性意識障害(持続的植物状態)に陥った時は生命維持装置を取りやめてください。

 

担当医がはたして不治の状態であると判断してくれるのか、一抹の不安はありますが、この歳になれば、無駄な治療は受けたくない、クオリティ・オブ・ライフ(QOL=生活の質)を優先したいというリビング・ウィル(生前の意思)を、まず本人がきちんと示しておくことが、身内の者にとっても必要であろうと思いました。

 

昨年、橋田寿賀子さんが、私は安楽死で逝きたい、とエッセイを発表したことから、安楽死が話題となりましたが、尊厳死協会の長尾和宏副理事長によると、日本では安楽死はおろか、尊厳死も法的にクリアされていないといいます。リビング・ウィルを認めていないのは先進国では日本だけだそうです。なぜか。

 

ドイツ文学者の池内紀さんが「すごいトシヨリBOOK」(毎日新聞出版)というおもしろいエッセイを出しましたが、日本人の医者や医学への過大評価は信仰と言ってもよいくらい。人間は本来自分を治癒する力をもっており、自分の体は自分が一番よく知っているはずなのに、医者にすがろうとする。数分診察したくらいで正しい診断ができるわけがないと、明快です。

 

高度な医学で治そうとすると、患者は非常に苦しむことになる。歳をとってからの病気は治そうとしてはいけない、手術は止めましょう、と言ってくれる医者こそ信頼できるが、大きな設備を持っている大病院の医者が言うわけがない、と書いています。長尾さんは医者だから、なぜ日本では尊厳死を認めていないかハッキリとは言わないが、池内さんはズバリ、医学界が儲からなくなり反対するからだと。健康診断も必要なし。歳をとれば悪いところがあって当然、わざわざ悪いところを見つけてもらいにいくことはない!と。同感だなあ。

 

この池内さんの本は、尊厳死協会入会後にたまたまネットの書評を読んで買ったものですが、彼も尊厳死協会に入っていると知り、ハタと膝を打ったものです。

結果、少しでも日本の医療費を減らすことになれば、気持ちだけでも若者に報いることができますしね。

 

 

2017年9月 8日 (金)

(281)Fさんを悼む

9月がスタートする1日の朝、未明にFさんが亡くなったという知らせが届きました。まさか・・・。819日のコンサート会場で会い、数日前に電話もしたばかりなのに・・・。Fさんは、筆者よりもずっと長く拉致被害者の救出に取り組んできた仲間。ちょうど1週間が経ち、ことの経緯が分かってきました。何と・・・・自死だったのです。

 

Fさん。あなたが亡くなる日に梱包したと思われる段ボール、配達指定された水曜日に、確かに受け取りましたよ。そこには、あなたが長年、精魂込めて収集した拉致被害者や拉致問題に関する膨大な資料を収めたCD、それを編集し128ページの冊子にした資料集(これは19日に手渡ししてくれました。)10数冊。そして何も書かれていない未使用のノートなど。最期に及んで何を想ったか、考えたかは、残念ながら一行も書いてありませんでした。

 

その資料集は、8月に完成したばかり。表紙には、あなたがいつもその意味を我々に説いてくれた漢詩「天莫空勾銭 時非無范蠡」とその意味が書かれています。

 

天(てん)勾銭(こうせん)を空(むな)しゅうすること莫(なか)れ

時に范蠡(はんれい)無きにしも非(あら)ず

 

あなたの解釈は、

(天は勾銭<中国春秋時代の越王>に対するように、決して拉致被害者をお見捨てにはなりません。きっと范蠡<越王勾銭に仕えた家臣>の如き武士(もののふ)が現れ、必ずや皆様をお助けするでしょう。)

 

ここ何年かは、真冬以外は、この漢詩をプリントしたTシャツを着て、資料を配布し、マイクを持っては、街頭を行く人に拉致被害者の救出を訴えていましたね。しかもその活動範囲は北海道から沖縄まで、活動や集会があると聞くと、優に50キロ以上はあろうという荷物を両手に下げて日本全国を回っていました。誰もまねのできない、Fさんの仕事でした。

 

しかし、今となってようやく、あなたがどれほどの孤独と闘いながらこの仕事と取り組んでいたのか、を思い知りました。私たちに語っていたあなたの生業も、2年前には辞めていたと聞きました。つまり、2年前から、自ら期限を切った人生を生きてきたのですね・・・。

 

私はあなたの仲間ではあっても、友人ではなかったことを悔やんでいますが、おそらくその意味での友人はひとりもこの世にいなかったようにも思います。間違っていたらごめんなさい。

 

あなたが資料集に(菊水版)と書いた思い。人生をかけた1冊を私たちに残したということが、あなたの「菊水作戦」だったのですね。

 

還暦前という若さですが、私は立派な人生だったと思う。「長く生きればいいわけではないよね。何を残せたかが大事じゃないのかな。」と言うあなたの声が聴こえます。これからずっとあなたの死を、考え続けていくことになります。       合掌。

 

 

 

2017年9月 3日 (日)

(280)誕生日に

73回目の誕生日を迎えました。頗るとはいえないまでも、まあまあ元気でこの日を迎えられたことはありがたいことだと思います。

 

プレバースデーの昨日、五嶋龍さんと大阪大学交響楽団による“拉致被害者を忘れない”スペシャルコンサートを聴きに行きました。曲目はベルディの「運命の力」序曲、チャイコフスキーの名曲「弦楽セレナーデ」と「ヴァイオリン協奏曲」の3曲。どれも1200人の聴衆を魅了する力演でしたが、やはり龍さんがソリストを務めた「ヴァイオリン協奏曲」は素晴らしかったです。

 

阪大の諸君は、演奏だけでなく、拉致問題についての勉強もしたそうで、パンフレットに外国語学科朝鮮語専攻の渡辺さんが「拉致問題の現状」という一文をわかりやすく紹介していました。50数年前、筆者も合唱団のサークルで、音楽と社会との関りを真剣に議論したことを思い出します。好きな音楽を自分たちだけの楽しみに終わらせず、社会に受け入れてもらい、考えてもらえる音楽が必要だと議論をしていました。阪大の諸君が龍さんの呼びかけに応えて、拉致被害者のことを勉強し、昨日のコンサートを成功させたことは貴重な経験だったと思うし、きっと将来につながるものと思います。

 

龍さんは、演奏後マイクを握り、今回のプロジェクトについて簡潔に説明し、会場に向かって今日から拉致被害者のことを思い、何かできることをやりましょう!と語りかけてくれました。そして最後にアンコールに応えてドボルザークの「我が母の教え給いし歌」を弾いてくれたのですが、北朝鮮にいるめぐみさんへの想いを込めた選曲だと思うと涙なしには聴けませんでした。

 

そして今日、誕生日を迎え、多くの人と手を携えて、残りの人生を悔いなく生きることを心に誓いながら、街頭署名活動をしていたら、北朝鮮が核実験を行ったというニュースが流れました。よくもやってくれたな、と怒りを覚える一方で、北朝鮮こそ追い込まれ墓穴を掘っている、この無法国家との闘いこそが日本人を覚醒させるのだと思い直しました。

 

「我が母よ、さらなる勇気を我に与え給え!」

 

 

2017年8月27日 (日)

(279)往く夏に

前日の豪雨で開催が危ぶまれた秋田・大曲の花火大会は、関係者の徹夜の作業で会場内の整備ができ、昨夜は快晴の空に見事な花火が打ちあがりました。日本一の花火を一度は観たいものと大曲まででかけたのはもう8年前。そのときは帰宅してからテレビの再放映を観て、「テレビでは少しも美しくない」と日記に記しています。昨日会場で観た人たちの興奮やいかに、と思いました。帰り道、大混雑で5時間もかかって「つなぎ温泉」へ着いたのは深夜2時半だったことも懐かしい思い出ですが・・・。

 

その昨日は、びっくりするほど涼しく凌ぎやすい一日で、夜もエアコンを使わずに済みました。今日以降はまた猛暑日が予報されていて油断はなりませんが、徐々に秋へと移っていく節目が昨日だったと感じます。

 

この夏の印象に残ること・・・。

 

この夏は出かけることが多く、あまり読書もできなかったのですが、行き返りの電車で読んだ百田直樹の「海賊と呼ばれた男」は評判通りでした。5年前に単行本が出て、大ベストセラー、昨年には映画化もされたのですが、なぜか天邪鬼なものですから、ブームが終わった今ごろになって文庫本を買いました。出光興産の創始者出光佐三を描いたノンフィクションに限りなく近い作品ですが、「終戦直後のあの時代、皆が下を向いていたときに、とんでもないことをしでかした男たちがいたという驚き」という、映画化した山崎貴監督の言葉に尽きると思います。

 

出光についての関係書はたくさんあるわけですが、百田直樹は当時あたかも出光佐三の側近だったかのように、モデルとなった国岡鐵造とその部下たちをいきいきと描いています。「永遠のゼロ」で示された彼の力量をあらためて感じました。今の混とんとした日本に生きる読者は、この本から有無を言わさぬ形で、日本人のあるべき姿と勇気を感じ取り、本の評判を広めていったのだと思います。本屋大賞をとったのも当然といえば当然で、筆者も自分自身、まだ歳云々をできない口実にしてはいけないと自戒しました。

 

「今、日本はいい国ですか?」と呼びかける宣伝ビラ・・・知人から勧められて観に行った「流れる雲よ」という舞台劇にも深くこころを揺さぶられました。敗戦間近の知覧基地での特攻隊員たちを描いた作品。突然ラジオが2017年の未来からの電波を受信し、まさに特攻出撃の前日に日本の敗戦を知ってしまう。動揺しながらも、小隊の全員が未来の日本のために命を捨てることをあらためて決意し、出撃していく・・・。

 

商業演劇ベースには乗りにくい作品ですが、「劇団集団アトリエッジ」という初めて聞く劇団が、支援者たちとともに20年間も上演し続けているという事実に感銘を受けました。主人公が「今、日本はいい国ですか?」と問いかけるエンディングに、観客はそれぞれが今の日本に思いを巡らせ、自らの生き方を見つめ直したと思うし、俳優たちの輝く瞳と爽やかさ、半端でない全力投球の演技は、散華された若き特攻隊員に充分応えられるものであったと思います。思いのほか若い観客が多かったことにも希望を感じることができました。

 

 

 

2017年8月24日 (木)

(278)半島情勢

昨日、朝鮮半島情勢について、李相哲龍谷大学教授と産経新聞加藤達也編集委員の話を聴いてきました。

 

(李教授)

 北朝鮮の金正恩政権の三つの特徴は、①軍事力への信奉(核兵器とミサイル)、②人命軽視(政権維持のためには人の命など関係ない。社会主義国家の特徴でもある)、③目的達成のためには手段を選ばない(約束は守らない)。

 日米はこれに振り回されている。ただ、中朝国境近くで取材するとここにきて「北朝鮮も弱ってきた。希望が見えない」と言っている。今年6月以降の金融制裁が利いてきている。北朝鮮は困り果てれば対話に応じてくる。

 日本の「識者」は、北朝鮮の目標はアメリカだと言っているが、これは100%間違い。北朝鮮の真の目標は韓国である。

 韓国の文在寅政権は、北朝鮮宥和政権であるが、大統領自身、誰かの演出で動いている。周りの側近はすべて80年代に民主化闘争を主導した左派メンバーで固めているので、ここでも日米は対処しにくい。

 こんな政権であっても希望がないわけではない。韓国国民は結構親日。「昼は反日、夜は親日」と冗談で言われるくらい。回り道でもじっくりと現政権の不条理を韓国民に知らせていく民間交流が必要で、また有効。

 

(加藤氏)

 パククネ前大統領らの裁判に注目している。パククネも、贈賄側もカネに困っている人たちではなく、でっち上げによる逮捕、裁判劇が進行している。贈賄側のサムスン元副会長への判決が近く出るが、法律論ではなく情緒論の裁判となっている。韓国らしい。

 日本はかつて慰安婦問題で、当時の韓国の政権から頼み込まれて譲歩し「河野談話」を出してしまった。韓国とは今後こうした妥協を一切しないことが大切だ。

 

そして肝心の今後の見通しについて、李教授は、米朝の軍事衝突の確率は60%ある。北朝鮮の核施設をピンポイントで攻撃することはすでに中国のOKをとっている。もしくは金正恩を除去する、一気に相手の反撃をさせない軍事力の行使もありうる、とのこと。ただ、韓国が軍事力行使には大反対するだろう。そこをアメリカがどう決断するか。

 

加藤氏は、北朝鮮を内部崩壊させるための作戦が有力とのこと。ただ、一番の問題は、日本人に危機感がないこと。今になってJアラートの訓練をやっている程度ではお粗末。半島有事のときに、在外日本人(韓国には約6万人の日本人がいる)をどう助けるか、そんな意識も発想も日本人にはない。拉致被害者さえ助けることができないのだから、と。

 

(以下、筆者の感想)

最近は、テレビのニュースも見たくないと思うときが多いです。すぐそばに面倒な国家が三つも存在するというのに、公共放送NHKは、パンダの赤ちゃんがこんなに大きくなったなどという「ニュース」をゴールデンタイムで流している。アホとちゃうか!

 

こんな日本を北朝鮮、韓国の指導者は知っているわけだから、事ごとに、日本など相手にもならんと、見くびっていることでしょう。憲法や軍事力の話となると異常に反応し、反対する高齢者世代がいなくなってはじめて、まっとうな国造りを若い世代で考えてもらわなければならないが、最低でも20年はかかるなあ。哀しいことですが、このときまでこの国が持つのかどうか・・・。

 

 

 

2017年8月20日 (日)

(277)北朝鮮のめぐみさんへ

昨日大阪OBPの円形ホールで、「拉致被害者救出の願いを込めて 北朝鮮向けラジオ放送『ふるさとの風』と『しおかぜ』共同公開収録」という催しがあり、大阪ブルーリボンの会で制作したピアノとソプラノ・テノールのトリオによる「めぐみ~愛しき我が娘(こ)」の演奏が、初めて電波に乗って北朝鮮へ放送されました。

作詞者の筆者は司会に促されて曲の紹介を次のように述べました。

 

会場のみなさま、そして北朝鮮で放送を聴いてくれている拉致された日本人のみなさま。私は大阪で13年間、救出のために取り組んできた者です。

 

これから演奏する曲「めぐみ~愛しき我が娘(こ)」は、横田めぐみさんとお父さん滋さんとの心の交流を表現したもので、私の拙い詞に曲をつけてくれた中瀬あやさんは、

最初にピアノの前奏で、拉致されていくめぐみさんの恐怖と拉致の残酷さを表現し、

続けて父と娘の愛情あふれる対話を、ソプラノとテノールが歌い、

最後に必ず再会して普通の生活を取り戻そうという願いを二重唱で歌い上げるという、スケールの大きい曲にしてくれました。

 

北朝鮮にいる横田めぐみさん、拉致被害者のみなさん。この曲を聴いて日本に帰る日が来ることを信じて待っていてください。

今日は大阪で活躍している三人の音楽家がボランティアで演奏してくださることになりました。心から感謝しています。

 

同じ高校の同窓生で作り上げたこの曲が北朝鮮に生放送され、感無量のひとときでした。三人の演奏も気持ちの入った素晴らしいもので、聴いていて涙をぬぐう方もおられ、会場から大きな拍手をいただきました。

 

 

2017年8月10日 (木)

(276)神道の一年祭

高校の同期生であるH君の一年祭にお参りしてきました。昨年の葬場祭(お葬式)から、早や一年。本当にもう一年が過ぎたのかと感慨を覚えながら。

 

仏教では故人が成仏するよう、極楽浄土へと送りますが、神道では故人の御霊をその家にとどめ、家の守護神となってもらうという、仏教とは大きく違う考え方に基づいているそうです。仏教伝来以前からあった八百万の神への信仰をベースにした日本固有の儀式なんですね。

 

一年祭についても儀式を執り行う神職の方が、とても丁寧に説明してくださいました。つい最近参列した仏教の一周忌では(仏教でもお坊さんの質によるのでしょうが)、ただ15分ばかりお経をあげて、お坊さんはさっさと帰ってしまわれましたが、ここでは、神職の方が、最近ご自身の親を送った話をされ、H君の奥さまにねぎらいの言葉をかけ、参列者には、御霊にお祈りを捧げて、これから見守っていただきましょう、と話されました。とても温かい、また清々しい想いがしました。

 

自宅での儀式のあと、お墓にも参拝しましたが、墓石には「夢」という字が彫られ、墓石の前には、故人が愛用したパソコンとマウスをかたどった石の彫り物が置かれていました。遠くへ行ってしまうのではなく、近くでパソコンをしながら、見守っているよ、という彼のメッセージのようでした。神式は何だか自由で、おおらかで、いいな、と思いました。

 

終わった後、一緒に行った仲間たちが遠来の筆者をねぎらう企画を立ててくれ、久しぶりに箱根で一泊し、とりとめない話を楽しみました。それぞれが人生最後の直線を走っている自分を思いながら。H君のおかげでこうして集まって歓談しているのに、この場にH君がいたら、どれだけ楽しかったかとつい矛盾した思いに囚われましたが、きっと、彼も一緒にいてくれたのかもしれません。合掌

 

 

 

2017年7月30日 (日)

(275)安倍さんの政治(3)

当ブログは拉致問題、憲法改正方針を中心に安倍政治への批判を行ってきましたが、ここにきて内閣支持率が一挙に30%台へ急降下してきました。政権復帰から4年目を過ぎたつい最近まで5060%という歴代内閣に見られない高支持率でしたが・・・。安倍一強体制に何が起こったのか。その主因はどうやら「慢心」と「女性問題」のようです。

 

きっかけは今年の春先から世間を騒がせた「森友学園問題」。私立の「愛国教育」を標榜する小学校建設のために、国有地が不当に安く払い下げられたという。その小学校の名誉校長に、首相夫人の安倍昭恵さんが就任しており、生徒募集に首相の名前も使われていたといいます。そのためか、財務省、近畿財務局がこの学園に便宜を図ったのではないかという問題。

 

この昭恵夫人、自民党の方針に反するように、脱原発を標榜するミュージシャンと交流したり、「大麻解禁論」を主張したり、自ら小料理店のオーナーとなったりと実に奔放。いままた国会で問題とされている「加計学園疑惑」でも、安倍さんと加計学園理事長らの飲み会の写真をフェイスブックに投稿し、「クリスマスイブ・・・男たちの悪だくみ(?)」とタイトルをつけるなど、およそファーストレディの行状とは思えない。

 

安倍さんお気に入りの稲田防衛大臣。さまざま問題を起こした挙句、内閣改造の1週間前というタイミングで先週辞任しました。(しかも、防衛省の事務次官、陸上幕僚長も道連れに。)未来の首相候補として育てるために、ほとんど防衛に関しては無知な彼女を大臣にしたうえ、問題を起こすたびに、かばい続けた結果ですから、安倍さんへの国民の信頼はガタ落ちとなりました。特に中年女性層からの反撃が高いそうで、目玉政策に「女性が輝く社会」をブチ上げた安倍さんでしたが、その女性に足元をすくわれた格好です。

 

夫人の「放し飼い」も、稲田氏寵愛も、首相自らの慢心からでたことだと思います。取り巻きたちにも、陰で批判はしても、諫める人がいなかったわけで、結局、独裁的な政治になっていたということではないでしょうか。野党第一党の民進党が、これまた女性党首が辞任するという体たらくで、これまでも安倍さんへの批判が、野党支持に回らないため、慢心が慢心を生んでいたことも傷を深めることにつながったと思います。

 

防衛大臣と、次期自衛隊制服組のトップである統合幕僚長と目されていた陸幕長の辞任で、大きな空白が生じた金曜日の夜、皮肉にも北朝鮮がアメリカ本土にとどくICBMをぶっ放しました。もはや日本の防衛を安倍さんには任せておけなくなったという象徴的な夜だったと思います。

 

安倍さんが生き残る道はただひとつ。美辞麗句を弄するのではなく、結果を出すこと、これに尽きると思います。

 

 

 

2017年7月23日 (日)

(274)暑中お見舞い

いくつになっても無知を白状することになりますが、土用とは夏のこととばかり思っていました。土用とは、「土旺用事」の略で、陰陽五行説で春・夏・秋・冬を、木・火・金・水とし、余った「土」を、各季節の終わりの18日間に当てはめたことから、立春・立夏・立秋・立冬前の各18日間を「土用」という、とあります。つまり立秋前の18日間を夏土用というわけで、今年は719日が土用の入り、今は夏土用の真っただ中です。

 

夏土用を暑中と呼び、この間に暑中見舞いを出す。夏土用の三日目が晴れると豊作、雨が降ると凶作だそうで、この豊凶占いを「土用三郎」というらしいのですが、土用三日目の721日は、ほぼ西日本では猛暑でしたが、九州北部などは集中豪雨で、吉凶が分かれたということになるのでしょうか。

 

ちなみに豊凶占いには、他に天一太郎、八専二郎、寒四郎があり、合わせて農家の年中の四厄日という、また土用中に、土を犯すことは忌むべきこととされ、葬送などは、この期間は延期された・・・など、昔の風習は興味深いことです。

 

暑気払いを兼ねた「懇親ビアガーデン」なるイベントを4年前から町内で始めたのですが、昨日がその日でした。今年は筆者に代わって幹事を務めてくれたYさんが「ビールサーバー」なる新兵器を導入してくれたおかげで、本格生ビールをいただきました。普通のビールより3割ほど高いらしいのですが、その値打ちは充分にありましたし、Yさんは得意の手料理も振舞ってくれ大好評でした。こうした隠れた人材の発掘も嬉しいことです。

 

最高齢は88歳から、下は43歳まで、平均すれば年配者が多いのですが、差し入れのウィスキー、焼酎、ワインもすべて飲み干して、実に5時間も談論風発が続いたのは4年目にして初めてでした。初参加の人も誰彼なくすっかり打ち解けている様子をみていると、特に男性にとってアルコールの効用はやはり凄いと思いました。新たな出会いがまた町内に新風を吹き込んでくれそうで、わが町内の土用の吉凶占いは大吉ということになったようです。

 

末筆ながら、みなさま暑中お見舞い申し上げます。

 

 

2017年7月15日 (土)

(273)五嶋姉弟、母の思い

五嶋みどりさんが理事長を務めるNPO法人ミュージック・シェアリングの活動のひとつが、ICEP(international community engagement program)で、日本はじめアジア各国の恵まれない子どもたちに本物の音楽を届ける活動です。8回目として、昨年はネパールを訪問した報告会が、先月ありました。

 

今回のカルテット・メンバーは、みどりさんのほか、アルゼンチン、中国、イスラエルの演奏家で構成されていますが、彼ら(ビオラのルオさんは女性ですが)は若手のソロ・プレイヤーとしていくらでも仕事があるのに、わざわざみどりさんのオーディションを受け、ボランティアで参加している。彼らがいかにみどりさんの活動を敬慕し、参加したがっているか、そう考えるとICEPは、子どもたちに音楽を聴かせること以外に、彼ら若手にどんな演奏家になってほしいか、みどりさんの思いが秘められているのだと思います。

 

報告コンサートでは、ヒナステラ(アルゼンチンの作曲家。初めて名前を知った。不協和音もたっぷりだが、ラテン音楽らしい多彩な音の組み合わせ、リズムに圧倒された)、ドヴォルザーク、シューベルトの弦楽四重奏曲が披露されました。一級品のカルテットを小ホールで堪能する。何と贅沢なことか、来年もぜひ楽しみにしたい。

 

さて、みどりさんの異父弟、同じくヴァイオリニストの五嶋龍さん。

彼もみどりさんに負けずとも劣らない音楽家であること知りました。

 

“拉致被害者を忘れない”をテーマに、この秋全国6か所でチャリティコンサートを行うのです。その名も、Project R 。Rは、拉致被害者、RememberRyu を指す。

 

政府の拉致問題対策本部から、大阪でのコンサートについて連絡があり、協力を依頼されました。92日、大阪大学交響楽団との共演です。もちろんできることはなんでも、と答えたのですが、前売チケットは即日完売、前もって情報提供しておいた大阪ブルーリボンの会の会員でも買えない人が出る始末。ネームバリューの凄さをあらためて知りました。

 

龍さんがなぜこのプロジェクトを思い立ったか。この世で最も恐い母(五嶋節さん)が、僕の傍らで瞼を拭うのは、めぐみちゃんとお母様のことを想うときのみであった、と彼は書いています。母の姿を見て「拉致」についてできることはやろう、と心に決めていたといいます。

 

しかも、今回のプロジェクト6回のうち4回は各地の大学のオーケストラとの共演という形を思いついたのは、“if you see something, say something ”という、ニューヨークの地下鉄の広告にヒントを得たという。自分と同じ世代の若者と何かを成し遂げようという思いに。

 

しかし、「拉致啓発コンサート 大学尻込み」「『政治色強い』と共演辞退も」との見出しで昨日の産経新聞がこの間の事情を伝えています。龍さんが昨年末に共演を呼びかけたところ、約40校が関心を示し、2月の打ち合わせには18校が集まった。ところが、コンサートが拉致問題の啓発目的だと伝えると、ほとんどの学校が手を引いた、とある。残ったのは、

関西学院大、宮城教育大、(医療系大学生による)交響楽団はやぶさ、そして大阪大の4オーケストラ。これが日本の現実です。

 

しかし、4楽団が龍さんの思いに応えたことを称賛したいと考えます。また、逆説的ですが、もし40校が龍さんとの共演を求めてきて、調整に苦労するような日本の状況なら、実はとっくに拉致被害者は帰ってきており、龍さんがこうした企画を考えることもなかったといえるかもしれません。

 

五嶋みどり、龍という天才ヴァイオリニスト姉弟を育てたお母さんは、真の芸術は、聴く側のさまざまな思いを理解しなければ生まれないとお考えなのか、それは想像するしかありませんが、二人のお子さんは母の思いを体現されているのだと思います。横田早紀江さんの思いを、涙なくして聴けない人間を、今の日本が失いつつあるという現実をかみしめながら、「限りある身の、力試さん」と思ったことでした。

 

 

 

2017年7月 7日 (金)

(272)映画「光」とトーク

河瀨直美監督の最新作「光」を観てきました。今年5月のカンヌ映画祭で、精神世界を深く掘り下げた作品に授与されるエキュメニカル賞を受賞(キリスト教のカトリック、プロテスタント両方の審査員6名によって選ばれるが、今年は満場一致であった由。)しています。

 

視力を失っていく写真家の主人公と、視覚障碍者のための音声ガイドを制作するヒロイン美佐子が、葛藤を重ねながら、次第に互いを認め合い惹かれていくメインストーリーと、ヒロインが音声ガイドの制作を担当している劇中映画「その砂の彼方」(この映画も独立した作品として作られ、上映もされているという。いずれ見たいものです。)というサブストーリーを組み合わせながら、河瀨監督は、大切なものがいずれは失われていくという人間の宿命を肯定的にとらえ、多様な光の世界に描き出している美しくも切ない作品です。

 

主人公雅哉を演じる永瀬正敏は、俳優でありながら自身プロの写真家(写真集をすでに6冊出している)で、視力を失う写真家を演じるとき、彼がどれほどの苦悩を実感したか、その思いが伝わってくるようで心が震えました。クランクインの2週間前から、実際に撮影した奈良のアパートで暮らし、目の不自由な方たちと交流し、役作りをしたそうで、「どんな状況の人にも、心の中に光がちゃんとある。大きな光があるんだ」という監督のメッセージにも気づくことができました、と語っています。

 

ヒロインの水崎綾女(みさきあやめ)、サブストーリーの主人公、藤竜也も素晴らしく、キャスティングも良かったし、標準語の映画を奈良の街で自然な感じで撮り、奈良の大自然の光の美しさを見せてくれた、奈良出身の河瀨さんならではの作品ですし、また音楽もユニークで心地よいのですが、担当したのはイブラヒム・マーロフというレバノン人。今や世界的監督となった河瀨さんは、国際色豊かなスタッフを構成できるだと感心しました。

 

上映後、河瀨さんと宗教学者山折哲雄さんのトークがあり、山折さんから会場に「視覚と聴覚のどちらかを失わなければならなくなったとき、あなたはどちらを選びますか」という問いが出されました。およそ9割近くの人が視覚を残したいと答え、筆者は、聴覚を残したい、の方に手を挙げました。もう人生においておよそ見るべきものは見た、クラシック音楽が聴けないことには生きていてもしかたがないとの、一瞬思いつきの理由でしたが、山折さんによれば、聴覚を選んだ人は神に近いのではないか、と。

 

それはともかく、現代人はテレビやパソコン、スマホなどに視覚を使いすぎていることは確かで、筆者も間違いなくその一人です。先週も書いたように、古代人は、大自然の音を聴くことで多くのことを学び、暮らしを立ててきましたし、それは神の声を聴くことでもあったでしょう。河瀨さんも山折さんの指摘になるほど!と感心していました。トークの最中に、永瀬正敏さん本人が登場したのにはさすがにびっくりしましたが、彼の朴訥な語り口はとても好感が持てました。

 

昨年のカンヌに出品した映画「あん」に音声ガイドを入れた経験から、河瀨さんは「光」の構想を思いついたそうで、この二人が今後どんな作品を作るのか楽しみです。また、来年秋、永瀬さんの個展が奈良写真美術館で開催されるとか。

この映画はできればあと何度か観て、河瀨さんの意図したものをもっと感じたいと思いました。たくさんの方にお薦めしたいと思います。

 

 

 

2017年6月27日 (火)

(271)偽書?「ミュータント・メッセージ」

ケアンズで、アボリジニのパフォーマンスを観たことを書いたら、友人から一読の価値ありと勧められた本がマルロ・モーガン著「ミュータント・メッセージ」(角川書店・絶版)です。

 

主人公はアメリカ人の女性の医療関係者。オーストラリアの知人から、彼女が行っている患者教育プログラムを活かすためにオーストラリアで働かないかと誘われる。行ってみると、占い師から「あなたがこの国に来たのは生まれる前から約束されていた、お互いが向上できる人と出会うために。あなたとその人とは地球の反対側で、同じ日に生まれている・・・。」と告げられ、アボリジニの<真実の人>という部族に出会う。そして未開の地を三カ月歩いて旅をすることになる。身に着けているすべてのものを脱がされ、ボロのような服だけが与えられる。脱いだもの、装飾品はじめ持ち物はすべて燃やされてしまった・・・。

 

この旅で部族は食べ物を持ち歩かない。水を入れる動物の膀胱を持つだけ。行く手には必ず食べ物が与えられる、と信じている。彼らの祈りに宇宙はつねに応えてくれる。彼らは心から自然のあらゆるものを讃える。言葉ではなく、メンタルテレパシーで意思を伝えあう。テレパシーは、心や頭に何か隠そうとする部分があると機能しない。言葉や書き文字は障害物として排除される。声は歌うため、祝うため、癒しのためにある。すべてを受け入れ、正直になり、自分を愛することが大切である。

 

主人公は、<真実の人>族の人たちと行程を進むうちに、足を複雑骨折した男が仲間たちの介護で翌日には歩けるようになったり、ミュータント(突然変異を意味する単語。科学の力で超越した能力を得た者のこと。この本ではアボリジニから見て現代人をミュータントであると表現しているらしい。)からみれば奇跡と思われることをいくつも体験していきます。こんなことも<真実の人>族から指摘されます。

 

われわれは宇宙との一体にまっすぐ歩いている。(おまえたち)ミュータントは、多くの信仰を持っているね。おまえの道は私のとは違う、お前の救い主は私のと違う、おまえの永遠は私のと違う、と思っているね。だが、本当はすべての命はひとつなんだよ。宇宙の意図はひとつだけだ。肌の色はたくさんあるが、人類はひとつだ。ミュータントは神の名前や建物の名前、日付や儀式で言い争う。・・・みんな同じ血と骨を持っている。違いは心と意図だけだ。ミュータントは自分のことや人との関わりのことを、ほんの百年でしか考えない。<真実の人>族は永遠を考える。祖先や、まだ生まれない孫たちも含めて・・・。

 

そしてついに<真実の人>族から認められた主人公は、彼らの最後の伝言を受け取ります。

 

この世界の人々はすっかり変わり、大地の魂の一部を売り渡してしまった。その魂と合体するためにわれわれは天に行く。あなたはわれわれがここから去ることを仲間に伝えるミュータント・メッセンジャーとして選ばれた。われわれはあなたがたに母なる大地を残していく。あなたがたの生き方が水や動物や空気に、そして互いにどんな影響を与えていくか、はっきり認識するように祈っている。・・・われわれのときは終わった。すでに雨の降り方は変わり、暑さは増し、作物や動物の繁殖も衰えている。われわれはもはや魂の住みかとしての肉体を用意することはできない、なぜならまもなくこの砂漠に水や食べ物がなくなるときがくるからだ。・・・

 

ウィキペディアなどによれば、この本は著者自身の実体験に基づいて書かれたノンフィクションとして当初刊行されたが、アボジリニからは否定、抗議され、またアボリジニの長老が書いたとされる推薦文もねつ造と判明したため、あらためてフィクションとして再刊行されたとのこと。

 

しかし、素直に読んだ人は、今の地球に住む自分のことを、あらためて考え直そうとするでしょう。現代人が他人より「良い」生活をするために、ひたすら競争をしながら生きていること、そのために地球が汚染され、そのためにいずれ苦しむ子孫のことより、今の自分の快適な生活を優先してしまっていることなどを。

 

人が生まれてきた意味は何か、ミュータントの誰も教えてはくれません。宗教者であろうと、実際は誰も知らないからでしょう。自分の素直な心に従って生きる、誰かのために尽くす、自分の役割を感じながら毎日を生きる、何よりも周りと助け合って生きる、そうしていれば宇宙の大きな計らいが人を守ってくれるという<真実の人>族の信仰は、何万年を生きてきただけに示唆を与えてくれます。

 

単にスピリチュアルの一語で済ませてしまっていいものか。(もう引き返せないが)私たちの道が、確実に滅びに向かっていることを感じる今だからこそ、一読の価値ありとMくんは勧めてくれたのだろうと思います。

 

 

 

2017年6月23日 (金)

(270)この一週間

金曜日。

ご近所の、地域活性化活動の同志であるTさん(元大学教授、同じ歳)が出品されている写真展を観に行く。大半が自然の風景、鵜飼などの行事を写したもののなかで、Tさんの作品は、インドの市井の人々を対象にしている。「下町の人たちの貧しい中でも明るい笑顔と力強さに感銘を受けた」という、Tさんの思いが伝わってくる。

 

土曜日、日曜日。

二日間、某資格試験の仕事に従事する。一日20人、各12分間、受験生と真剣勝負の問答。歳を重ねるにつけ疲労の度合いが増してくるが、それぞれの人生の一コマに立ち会える充実感は変わらない。終わって東京から応援に来た知己の委員と久しぶりに一献、楽しい限り。

 

月曜日。

やっと休日。この前の署名活動のとき、会員間で署名のもらい方で意見の違いが生じ、途中で泣きながら帰ってしまった婦人会員のことが気になっていたので電話する。「あなたのやり方は執拗すぎる、会の品位をダメにする」と注意され悔しくて泣けてきた、あとで私も大人気ないことをしたと反省しました、と。今度もまた行きます、と言われホッとする。政府が何もしないことが、現場での焦燥感につながっている。

友人に紹介された「ミュータント・メッセージ」という本を読む。この本のことはまたあらためて書きたい。

 

火曜日。

町内の月例映画会の日。往年の名作、「カサブランカ」を上映。何度見ても良くできた映画だと思うが、何とこの映画、制作過程では、撮影が始まってからも最後の結末が決まらず、二人の脚本家が苦労したという。ヒロインのイルザを、夫のラズロと恋人のリック、いずれと脱出させるかがなかなか決まらなかった・・・。名作の裏にある意外な真実。

終わってから、大阪に出かけて、五嶋みどりさんと仲間たちの「ネパール/日本 活動報告コンサート」に行く。相変わらず魂のこもった演奏会。毎年6月の楽しみである。これもまた稿をあらためたい。

 

水曜日。

ボランティアの事務所に週一回の「出勤」。署名数が落ちてきている原因と対策、合わせて年後半の活動構想、次の日曜日に予定している某国会議員との懇談内容について、などを話し合う。

先月、結成された「特定失踪者(拉致濃厚な方々)家族会」への緊急特別カンパを会員に呼びかけているが、現在70人ほどから協力があり、40万円ほど集まっているとのこと。いまこそ物心両面のサポートが必要と考えて提案したものだが、応えてくれる会員の尊い志に感謝でいっぱいだ。

 

木曜日。

疲れているし、前夜は迷っていたが、朝起きたらいいお天気だったので、頑張ってグラウンド・ゴルフに出かけた。成績は4アンダーの68。ホールインワンなしで68は悪くないが、順位はちょうど中ほど。参加者22名。最高齢は88歳!筆者より高齢の方ばかりだが、みなさんお上手。

終わってから午後、集会所で「書道を楽しむ会」例会に。3月から月2回、近くの住宅地から先生に来てもらって始めたが、1時間半ほど、筆を持つことはなかなか貴重なひとときである。おおらかな先生で、たくさん手本を書いてくださり、太字、細字、楷書、行書など何を書いても良いという。今日は先生が自作の落款をみんなにプレゼントしてくださった。もう途中で止めるわけにはいかなくなった!?

 

おかげさまで充実した一週間でした。

いよいよ梅雨本番らしい。皆さま、ご自愛のほど。

アップ寸前に、海老蔵の奥さまが他界された由。合掌。

 

 

2017年6月12日 (月)

(269)「究極の協奏曲」コンサート

18歳のヴァイオリニスト、服部百音(もね)と、全盲のピアニスト、辻井伸行が競演する、「究極の協奏曲」と銘打たれたコンサートを聴いた。オーケストラは日本センチュリー交響楽団、指揮はニール・トムソン。(長身のこの指揮者がまた素晴らしかった。)

 

まず、服部百音は服部良一から数えて4代目、祖父は克久、父は隆之という音楽一家に生まれた天才といわれる。1曲目のエルンストの「夏の名残のバラ(庭の千草)による変奏曲」は、粗削りではあるが、超絶技巧、例えば弓でアルペジオを弾きながら、ピチカートで主旋律を弾くなどの、各種の変奏を懸命に弾いた。ブラボーである。

 

そしてチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」。オーケストラとの息もぴったりで、素晴らしい演奏であった。第一楽章の終わりで早くも盛大な拍手が巻き起こったが、それも当然の印象がした。楽章間の拍手は慎むべしという不文律があるが、感動した故の拍手には違和感はない。

 

(余談ながら楽章間の拍手について、相当なクラシックファンと思われる方のブログに以下の記述がある。)

私は楽章間の拍手についてはケース・バイ・ケースでやって構わないと思います。実は私も楽章間に思いっきり拍手した経験があります。6,7年前にシドニーでチャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」を聴いていたのですが、第1楽章でのソリストの奮闘に対し拍手を送りたくなった私は楽章が終わるまでウズウズしていたんですね。そして最後の和音が終わったときに思わずやっちゃったんですよ、拍手を。でも私はその時周囲の叱責を受けずに済みました。なぜなら私だけでなく会場の全ての聴衆も一斉に拍手喝采を送ったからです(笑)。(「おかか1968」ダイアリーさん)

 

やはりチャイコフスキーの協奏曲は別物なのである。この日もまったく同じ状況であったと思う。

 

辻井伸行はいずれもショパンで、ソロは「英雄ポロネーズ」、協奏曲は最もポピュラーな「第1番」。彼の演奏をナマで聴くのは初めてである。付き人に誘われて登場するところから、ピアノに触れ何度も椅子の位置を確かめるところ、協奏曲では指揮者に合図を送り、オケの演奏が始まり、ピアノが始まるまでの時間、またピアノがお休みの間も、彼は曲に合わせてずっと身体を前後に揺すっている。そんなステージ上の彼のすべてを見て、感じていた。

 

最初のうちは体の揺れが気になったのは確かであるが、彼のすべてがこの曲と一体化しているのだと思ったら、逆にその音楽を愛する一途さが愛おしく思えてきた。筆者が初めて買ったクラシックのレコードがこの曲。ピアノはマルタ・アルゲリッチ、指揮はクラウディオ・アバド。何回聴いたことだろう・・・。今回、ノブのひたむきな演奏で改めてこの名曲を堪能させていただいた。涙を堪えるのに苦労した。

 

さて最後に粋なアンコール曲が用意されていた。百音のお父上、隆之氏作曲の「真田丸のメインテーマ」である。曲が始まったとたん、会場から軽い驚きと嬉しさの混じった拍手が起こった。昨年の大河ドラマの毎回の冒頭で聴きなじんだメロディーが、ピアノとヴァイオリンで交互に演奏される。演奏が終わった後の会場の反応がいかにすごかったことか。オーケストラは敢えてお休みにして、二人だけで華麗に弾き切った。フェスティバルホールが揺れるようだった。

 

 

 

«(268)電磁パルス攻撃